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インド系移民と在外インド人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印僑から転送)
英国の音楽家フレディ・マーキュリーは両親がパールシーペルシャ系インド人)である。

インド系移民(インドけいいみん、People/Persons of Indian Origin, PIO)と在外インド人(ざいがいインドじん)または非居住インド人(ひきょじゅうインドじん、Non-Resident Indians, NRI)は、インド国外に居住するインド系の人々。在外インド人(NRI)はインド国籍を保持・取得している国外居住者を意味し、インド系移民(PIO)は非インド国籍になった者とその子孫を意味する。日本語ではこの両方を含む意味合いで「印僑」(いんきょう)という術語が用いられることも多い[1]

インドは世界最大の移民送り出し国であり、国際連合の2020年時点統計では約1787万人と第2位のメキシコ(約1119万人)を上回る。インド外務省によると、移民2世・3世を含むインド系住民(ディアスポラ)は世界に3210万人いる。企業経営者や商人、技術者、労働者などとして活動しており、各地でインド系コミュニティを形成している。数が多いのはアメリカ合衆国(446万人)、アラブ首長国連邦(342万人)、マレーシア(298万人)、サウジアラビア(259万人)、ミャンマー(200万人)、イギリス(176万人)である[2]。インドの総人口は2023年中に中華人民共和国(中国)を抜いて世界最大になると予測されており、2020年代においても年100万人規模でインド人が海外へ移住している[1]

概要

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明確な定義はないが、一般的には19世紀以降のインドからの移民を対象としている。なお、イギリス領インド帝国から分離独立したパキスタンバングラデシュ(ともにイスラム教スンナ派教徒が多い)、同じくかつてイギリス(英国)領だったスリランカ上座部仏教徒が多い)等からの移民もインド系民族として含まれることが多い。インド系移民は大多数がイギリス支配の影響で、世界中の英国植民地であった英語圏に移住している。

歴史

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1830年代から、プランテーションでのサトウキビ栽培を目的とした出稼ぎ労働者として、単数年契約でモーリシャスフィジーなどへ移住した。ただし、当時のインドはイギリスの植民地であり、その扱いは奴隷並みで、契約期間が切れても帰国できない者が多かった。その他、19世紀半ばにインド洋の覇権をイギリスと争ったザンジバル・スルターン国でインド出身のジェイラム・シヴジが巨大な財力を握り、国政を左右する影響力を保持したため、ザンジバルへのインド人の移住も進んだ。しかし、1870年代以後、肉体労働を目的としたものだけではなく、技術者、商人、その他専門職として南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国)やマレーシア(当時はイギリス領マラヤ)などで成功した印僑が現れ始める。インド独立の父マハトマ・ガンディーも、インド民族主義運動に参画する以前は、南アフリカで活動していた弁護士であった。他にもイギリス植民地であった西インド諸島トリニダード・トバゴ南米大陸ガイアナ東アフリカタンガニーカケニアウガンダなどにインド系移民が渡った。

1947年にインドが独立を果たした後は、肉体労働を目的に中東諸国へ渡る者達と、高い数学や英語などの学力を生かした知的労働を目的として欧米に渡る者達の2タイプに分かれるようになる。1980年代以降の現代ではIT産業を中心に、数多くの印僑が各国で活躍している。在日インド人明治以来の歴史を持つが、コンピューター2000年問題に対応する技術者として招かれた1990年代以降に急増し、東京都江戸川区にインド人コミュニティが形成された[3]

印僑の生活や歴史は決して平坦なものではなかった。同じイギリス勢力圏内でもカナダへの移民上陸が拒否された駒形丸事件が1914年に起きた。スバス・チャンドラ・ボースのように、インドから亡命してインド独立運動に携わった者もいた。

1964年に勃発したザンジバル革命により、ザンジバルで商業や金融業を営んでいたインド系住民が多数亡命した。1970年代ウガンダでは、バントゥー系黒人をインド系住民より重視したイディ・アミン大統領がインド系住民を追放した(「アジア人追放事件 (ウガンダ)」)。先進国においても在豪インド人連続襲撃事件(2009年)のように人種差別ヘイトクライムの対象にされた例もある。

一方で、インド系住民や在外インド人は英国やアメリカ合衆国(米国)など各国で多数が暮らしているだけでなく、政財界や学界、文化・芸術で活躍する人材を多数輩出している。インド系のリシ・スナクは2022年、インドのかつての宗主国であったイギリスの首相に就任した[4]

インド政府の対印僑政策

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インドの首相ナレンドラ・モディは、世界各国への訪問で、インド系住民に対して演説し、「今も偉大なインドの一部だ」などと呼びかけることが多い[1]。これはインド本国への投資誘致など経済的理由とともに、各国の政治・外交への影響力を行使する狙いがあると指摘されている[1]ヒンドゥー至上主義インド人民党を基盤とするモディ政権下へのインドでは、報道の自由やイスラム教徒への抑圧が強まっているが、これらへの米国の批判は、在外インド人の憤激を招くだろうと、シンガポールの新聞『ザ・ストレーツ・タイムズ』は論じている[1]

モディ首相が訪米した2019年9月22日には、テキサス州ヒューストンNRGスタジアムにてインド系アメリカ人による5万人規模の集会が開催され、迎えたドナルド・トランプ米大統領も出席し、盛り上がりを見せた[5]。2023年6月の再訪米では首都ワシントンD.C.でインド系アメリカ人に講演し、同年5月のオーストラリア訪問ではインド系オーストラリア人との集会に2万人が参加した[1]

各国の人数

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人口(データ統計年月・提供元)
アメリカ合衆国 412万1944人(2011-15年、アメリカ国勢調査局[6]
イギリス 188万8641人(2021年国勢調査[7]
日本国 4万6262人(2023年、日本国外務省[8]

著名な人

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政財界・法曹界

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俳優・芸能界

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スポーツ界

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その他

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インド系と非インド系との混血NRI

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関連映画

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脚注

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  1. ^ a b c d e f [森浩のアジアの視線]「印僑」動かすモディ氏の思惑産経新聞』朝刊2023年6月28日(国際面)2023年7月2日閲覧
  2. ^ 『朝日新聞』GLOBE(朝刊別刷り)No.243(2021年7月4日)【特集】インド カオスが生む才能/「世界と混ぜます」8-9面
  3. ^ なぜ東京・江戸川区にインド人村が誕生?日本経済新聞 NIKKEI STYLE(2014年7月25日)2023年7月2日閲覧
  4. ^ インドメディア、スナク氏当選を一斉に速報=祝祭重なり「最高の贈り物」時事通信(2022年10月24日)2023年7月2日閲覧
  5. ^ 米印首脳、テキサスで5万人集会に参加 緊密関係アピール”. AFP (2019年9月23日). 2019年9月23日閲覧。
  6. ^ 種別"Asian Indian"に該当
  7. ^ findeasy”. 12 May 2023閲覧。
  8. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/data.html#section1 "在日インド人"

関連項目

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宗教

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インド以外の移民やディアスポラ

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外部リンク

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