原亮一郎
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原 亮一郎(はら りょういちろう、明治2年2月12日(1869年3月24日)[1] - 昭和10年(1935年)10月9日)は、日本の実業家。東京書籍初代会長。
来歴・人物
[編集]岐阜県羽島郡生まれ[2][3]。同人社、高等商業学校(現一橋大学)を経て[4][2][5]、ダリッジ・カレッジ卒業後[2][4][6]、1886年にイギリスのサミュエル商会に入社。1892年同社横浜詰仕入部主任。1900年に父・原亮三郎が創業した金港堂書籍の社長を継いだが[7][4][6][8]、1902年に教科書疑獄事件で偽証罪及び証拠隠滅罪の容疑で逮捕された[9][4][6]。1909年東京書籍を創立し、初代会長に就任[4][6]。1917年日本製紙発起人総代。1918年日本製紙会長[10]。1921年日本製紙相談役[11]。
親族
[編集]父は金港堂書籍創業者の原亮三郎[4]。妹の秀は向井忠晴元三井物産会長の妻[12]。同じく妹のミサヲは山本条太郎元南満洲鉄道社長の妻[13]。
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、は29頁。
- ^ a b c 日本現今人名辞典 訂正3版
- ^ 岐阜県風物記
- ^ a b c d e f 20世紀日本人名事典 2004.
- ^ 社団法人如水会名簿 大正14年10月改正
- ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus 2004.
- ^ 人物と其勢力
- ^ 原亮一郞 (初版 [明治36(1903)年4月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 教科書事件実記 : 空前絶後の大疑獄
- ^ 日本製紙(株)『日本製紙株式会社十五年史』(1933.11)
- ^ 日本製紙(株)『日本製紙株式会社十五年史』(1933.11)
- ^ 向井忠晴 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 原亮一郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース