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原亮一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原 亮一郎(はら りょういちろう、明治2年2月12日1869年3月24日[1] - 昭和10年(1935年10月9日)は、日本の実業家東京書籍初代会長。

来歴・人物

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岐阜県羽島郡生まれ[2][3]同人社高等商業学校(現一橋大学)を経て[4][2][5]ダリッジ・カレッジ卒業後[2][4][6]、1886年にイギリスサミュエル商会英語版に入社。1892年同社横浜詰仕入部主任。1900年に父・原亮三郎が創業した金港堂書籍の社長を継いだが[7][4][6][8]、1902年に教科書疑獄事件偽証罪及び証拠隠滅罪の容疑で逮捕された[9][4][6]。1909年東京書籍を創立し、初代会長に就任[4][6]。1917年日本製紙発起人総代。1918年日本製紙会長[10]。1921年日本製紙相談役[11]

親族

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父は金港堂書籍創業者の原亮三郎[4]。妹の秀は向井忠晴三井物産会長の妻[12]。同じく妹のミサヲは山本条太郎南満洲鉄道社長の妻[13]

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、は29頁。
  2. ^ a b c 日本現今人名辞典 訂正3版
  3. ^ 岐阜県風物記
  4. ^ a b c d e f 20世紀日本人名事典 2004.
  5. ^ 社団法人如水会名簿 大正14年10月改正
  6. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus 2004.
  7. ^ 人物と其勢力
  8. ^ 原亮一郞 (初版 [明治36(1903)年4月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  9. ^ 教科書事件実記 : 空前絶後の大疑獄
  10. ^ 日本製紙(株)『日本製紙株式会社十五年史』(1933.11)
  11. ^ 日本製紙(株)『日本製紙株式会社十五年史』(1933.11)
  12. ^ 向井忠晴 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  13. ^ 原亮一郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース

参考文献

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