原亮三郎
表示
原 亮三郎(はら りょうざぶろう、1848年11月13日(嘉永元年10月18日[1][2]) - 1919年(大正8年)12月8日[2][3])は、明治から大正時代の政治家。公吏。実業家。出版経営者。銀行家。衆議院議員。
経歴
[編集]美濃国羽栗郡平方村(岐阜県羽栗郡平方村、福寿村を経て現羽島市)出身[1]。原忠左衛門の子[1]。生家は代々農業を営み、同地の里正を務めた[1]。亮三郎は16歳にして家業を継ぎ、大庄屋となった[1]。
1871年(明治4年)東京に出て藤川三渓の門に入り、のち神奈川県史生に任ずる[1]。ついで権少録に進み戸長も務めた[1]。1875年(明治8年)横浜に出版社金港堂を創業し、翌年東京日本橋に移転する[2]。教科書や文芸雑誌、書籍などの出版にあたった[2]。
1893年(明治26年)には金港堂を株式会社に改組し取締役に就任したほか[2]、第九十五銀行[注 1]頭取、富士製紙相談役を歴任した[3]。
1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では岐阜県第3区から出馬し当選[3]。衆議院議員を1期務めた[3]。
親族
[編集]- 長男:原亮一郎(出版経営者)[1][2] - 東京高等商業学校(現一橋大学)に学び、サミュエル商会(シェル石油創業者の兄が横浜で創業した貿易会社)の横浜仕入部主任を経て家業を継いだ[4]。
- 娘:ナカ - 鉱山業を営む小林清一郎の妻[5]。小林は星亨の配下であり、鬼怒川水力電気の重役も務めた。宮島清次郎は小林の実弟。
- 娘:秀 - 向井忠晴元三井物産会長の妻[6]。
- 娘:ミサヲ - 山本条太郎元南満洲鉄道社長の妻[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 成瀬麟、土屋周太郎 編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。