原後雄太
原後 雄太(はらご ゆうた、1958年3月9日[1] - 2005年7月28日)は、日本の環境運動家、明治学院大学経済学部助教授。
マレーシアのサラワク州やブラジルのアマゾン熱帯雨林地域における森林破壊に反対する運動などに関わり、南米を中心に第三世界における社会開発事業などに従事した。
経歴
[編集]東京大学法学部卒業[2]。JPモルガン資金部[2]に為替トレーダーとして勤務[4]。
1987年、サラワクで森林伐採現場への道路を先住民の封鎖している現場に遭遇、この様子を撮影したビデオ映像がテレビなどで紹介された[4]。
その後、世界自然保護基金 (WWF)、フォード財団に勤務[2]。ブラジル人の妻と結婚し、新婚生活をアマゾン地域で送った[2]。日本に帰国後、1994年3月に日本・ブラジルネットワーク (JBN) を設立し、代表となった[4][5][6]。
1999年、NPO法人バイオマス産業社会ネットワークの発起人に名を連ね[7]、共同代表のひとりとなり、2004年のNPO法人化後は副理事長を務めていた[8]。
2002年、明治学院大学経済学部助教授[9]。 2005年、「Forest management reexamined : management capital, management commodities and development of a resource management model(森林管理を再考する : マネジメントキャピタル(管理資本)、マネジメントコモディティ(管理商品)、および資源管理モデル(RMM)の構築について)」で、東京大学より博士(農学)を取得[10]。
2005年にトルコのイスタンブールで転落事故により客死[3][11]。
おもな著書
[編集]単著
[編集]共著
[編集]- 泊みゆき、原後雄太 共著:アマゾンの畑で採れるメルセデス・ベンツ : 「環境ビジネス+社会開発」最前線、築地書館 1997
- 原後雄太、泊みゆき 共著:バイオマス産業社会 : 「生物資源(バイオマス)」利用の基礎知識、築地書館 2002
共訳書
[編集]- イブリン・ホン 著、北井一、原後雄太 共訳:サラワクの先住民 : 消えゆく森に生きる、法政大学出版局 1989
出典・脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.493
- ^ a b c d e 原後雄太『アマゾンには森がない』実業之日本社、1997年11月30日、253頁。ISBN 4-408-10250-4。:奥付、著者略歴
- ^ a b 下村健一 (2005年8月7日). “追悼・原後雄太は、次代に"増殖"した”. 下村健一. 2013年1月14日閲覧。
- ^ a b c 村田泰夫 (2001年3月14日). “原後雄太さん アマゾンの人々に紙すき技術を伝える(ひと)”. 朝日新聞(朝刊): p. 3 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “日本ブラジルネットワーク”. 国際農林業協働協会. 2013年1月14日閲覧。
- ^ 設立時期について『アマゾンには森がない』奥付、著者略歴には「93年」とある。
- ^ “設立宣言(1999年11月)”. バイオマス産業社会ネットワーク. 2013年1月14日閲覧。
- ^ 泊みゆき (2005年8月5日). “原後雄太氏お別れの会について”. GMO Media, Inc.. 2013年1月14日閲覧。
- ^ 泊みゆき (2002年4月10日). “バイオマス産業社会ネットワーク第20回研究会”. EIC NET(一般財団法人 環境情報センター). 2013年1月14日閲覧。
- ^ “Forest management reexamined : management capital, management commodities and development of a resource management model, Yuta Harago”. 国立国会図書館. 2013年1月14日閲覧。
- ^ 時事通信 (2005年7月29日). “明治学院大の助教授が死亡 トルコのホテル”. 朝日新聞(夕刊): p. 19 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
参考文献
[編集]- 明治学院大学経済研究 (135), 5-8, 2006-02(追悼 原後雄太助教授)