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原昌久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原昌久
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道函館市
生年月日 (1961-12-01) 1961年12月1日(62歳)
身長 158cm[1]→160cm[2]
体重 48.5kg[1]→51kg[2]
血液型 B[2]
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 フリー[3][4]
初免許年 1983年[2]
免許区分 平地競走
騎手引退日 1998年1月31日
重賞勝利 0
G1級勝利 0
通算勝利 167
経歴
所属 本郷一彦美浦
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原 昌久(はら まさひさ、1961年12月1日[1][2][5] - )は日本の元騎手日本中央競馬会 (JRA) の美浦トレーニングセンターに所属していた[2][3][4]

引退後も競馬に関する仕事にたずさわっている。

来歴

[編集]

北海道[2][5]函館市[1] 出身。中学生時代にアルペンスキーの強化選手に選ばれた経験を持つ[1]

高等学校中退後[1] の1978年に馬事公苑へ入り[5]、日本中央競馬会の騎手免許試験に3度目の受験で合格[5]本郷一彦厩舎所属[1][5] の騎手として1983年[1][4][5] 3月[2][3] にデビューし、1998年1月[5] 31日付で引退[2][3][4] するまでの間に通算167勝(2061戦)[2][3][4][5]中央競馬で挙げた。重賞で勝つことはできなかった[2][4] が、1988年に本郷厩舎の管理馬モガミファニーとともに東京優駿への出場を果たし[6]、1990年にはアメリカジョッキークラブカップにて同じく本郷厩舎の管理馬であるランニングフリーに騎乗し2着となっている。

騎手引退後は原 大貴(はら だいき)名義で評論活動を行い[5]、2002年に『騎手が教える「勝負レース」の極意』を著した[7]。その後は養成学校「プロスパーホースマンアカデミー」で人材育成に努めた[8]。2007年時点では千葉県にある大東牧場に勤め[9]、2012年現在は茨城県にある育成牧場「グロースフィールド」の代表取締役[10] として、競走馬の育成に従事している[11]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 紺野真「'83年デビューの新人騎手 関東編」『優駿』、日本中央競馬会、1983年4月、151頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k 引退騎手情報 原 昌久(ハラ マサヒサ)”. 日本中央競馬会. 2012年6月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e 「JRA News『上野清章騎手、原昌久騎手が引退』」『優駿』、日本中央競馬会、1998年3月、161頁。 
  4. ^ a b c d e f アラカルト”. 競馬ニホン (1998年2月1日). 2012年6月28日閲覧。 “原騎手が1月限りで引退”
  5. ^ a b c d e f g h i 原大貴「月替わりエッセイ『夢を追い続けた日々』」『優駿』、日本中央競馬会、2001年9月、89頁。 
  6. ^ 競走成績 第55回 東京優駿(GI)”. 日本中央競馬会. 2012年6月28日閲覧。
  7. ^ ISBN 978-4831400611
  8. ^ プロスパーホースマンアカデミー”. 2003年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月28日閲覧。
  9. ^ 奥村武 (2007年6月25日). “今の競馬に足りないもの”. 地方競馬日替わりライターブログ. 楽天競馬. 2012年6月28日閲覧。
  10. ^ 会社概要”. Growth Field. 2012年6月28日閲覧。
  11. ^ 施設紹介”. Growth Field. 2012年6月28日閲覧。 “元JRA騎手 原 昌久を中心に”