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古シベリア諸語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
古シベリア諸語
話される地域北アジア
言語系統複数の語族の集合
下位言語

古シベリア諸語(こシベリアしょご)は、シベリアで話されている孤立した言語や小さな語族の総称。古アジア諸語旧シベリア諸語旧アジア諸語オホーツク諸語ともいう。

現在のシベリアでは主としてツングース諸語テュルク諸語ウラル諸語が話され、さらにロシア語に代わりつつあるが、それ以前には古シベリア諸語が広範に話されていた可能性がある。


主な4語族

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次の4つの語族にまとめられるが、それらの間の関係は知られていない。

チュクチ・カムチャツカ語族
シベリア東端部のチュクチ半島カムチャツカ半島などで使われている。チュクチ語とそれに近いコリャーク語コリャーク)、アリュートル語ケレク語、さらに、別系説もあるが離れた言語としてイテリメン語(カムチャダール語)がある。いずれも話者は数千人以下。ケレク語は絶滅に瀕しており、カムチャダール語も話者は100人以下に減っている。
ユカギール語族
シベリア北東部、コリマ川インディギルカ川の下流域で2つの言語が用いられている。この他さらに内陸・東側で用いられたChuvantsyなどの言語は絶滅した。ウラル語族と関係があると考える人もいる。
ニヴフ語(ギリャーク語)
アムール川下流域から樺太に住むニヴフ人の言語。孤立した言語(下位方言を個別言語とみなす場合は小さな語族)であり、アイヌ語や朝鮮語、日本語などとの関係が議論されているが系統未証。チュクチ・カムチャツカ語族との関係を考える人もいる。
エニセイ語族
エニセイ川中流域で話されているケット語は、古くはユグ語などいくつかの言語(死語)とともに小さい語族をなしていたと思われる。かつてシナ・チベット語族ブルシャスキー語との関係が考えられたこともある。
2008年にエドワード・ヴァイダによりエニセイ語族ナ・デネ語族(アラスカ・カナダで話されているトリンギット語イヤック語アサバスカ諸語が含まれる)が同系統であることが明らかにされた。これは動詞形態論や音韻の比較による厳密な方法論に基づくもので、多くの言語学者から支持を得、この2つの語族を合わせたデネ・エニセイ語族が提案されている。

含むことのある語族

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さらにアイヌ語エスキモー・アレウト語族を古シベリア諸語に含めることもある。

主な言語

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言語 話者 語族
チュクチ語 5100 2010 チュクチ・カムチャツカ語族
コリャーク語 1670 2010 チュクチ・カムチャツカ語族
ケット語 0210 2010 エニセイ語族
ニヴフ語(ギリャーク語) 0200 2010 孤立
ツンドラ・ユカギール語 0150 ユカギール語族
イテリメン語(カムチャダール語) 0082 2010 チュクチ・カムチャツカ語族
コリマ・ユカギール語 0050 ユカギール語族
アリュートル語 0025 2010 チュクチ・カムチャツカ語族
ケレク語 0000 チュクチ・カムチャツカ語族
ユグ語 0000 エニセイ語族

系統関係

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ユカギール語族はウラル語族と共にウラル・ユカギール語族を形成し、エニセイ語族はナデネ語族デネ・エニセイ語族を形成するとする説が有力である。ウラル語族、ユカギール語族、チュクチ・カムチャツカ語族にエスキモー・アレウト語族を含んだウラル・シベリア語族仮説も存在する。これらの仮説をもとに、デネ・コーカサス語族ユーラシア大語族ノストラティック大語族、またボレア語族と呼ばれるユーラシア大陸全体をカバーするセルゲイ・スタロスティンの学説などが提唱されている。

古シベリア諸語の語族と民族集団のY-DNA
民族集団 語族 仮説段階の語族 民族集団のY-DNA(%)
NーTat C2-M217 Q 出典
Q-M3
フィン人 ウラル語族 ウラル・ユカギール語族 ウラル・シベリア語族 61 [1]
ユカギール人 ユカギール語族 31 31 31 [2]
ユピック人 エスキモー・アレウト語族 60.6 0 21.2 [3]
チュクチ人 チュクチ・カムチャツカ語族 チュクチ・カムチャツカ・アムール語族 58.3 4.2 12.5 [3]
コリヤーク人 22.2 33.3~59.2[4] [3]
ニヴフ人 ニヴフ語 1.9 71 7.7 [5]
ケット人 エニセイ語族 デネ・エニセイ語族 ~6.2[6] 93.7 [7]
アサバスカ人 ナ・デネ語族 ~11.5[6] 70.4 [8]

話者名

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これらの言語を話す人々のことは、シュレンク(L.von Schrenck)によって古アジア人(Paleo-asiatics)と命名され[9]、次いでツァプリカ(M.A.Czaplicka)によって古シベリア人(Paleo-Siberians)と呼ばれ[10]、さらにヨヘルソン(W.Johelson)によってアメリカノイド(Americanoids)と呼ばれたが[11]、確定した呼称はない[12]

脚注

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  1. ^ Lappalainen, T; Koivumäki, S; Salmela, E; Huoponen, K; Sistonen, P; Savontaus, M. L.; Lahermo, P (2006). "Regional differences among the Finns: A Y-chromosomal perspective". Gene 376 (2): 207–15. doi:10.1016/j.gene.2006.03.004. PMID 16644145. edit
  2. ^ Duggan AT, Whitten M, Wiebe V, Crawford M, Butthof A, et al. (2013) Investigating the Prehistory of Tungusic Peoples of Siberia and the Amur-Ussuri Region with Complete mtDNA Genome Sequences and Y-chromosomal Markers PLoS ONE 8(12): e83570. doi:10.1371/journal.pone.0083570
  3. ^ a b c Lell, J. T., Sukernik, R. I., Starikovskaya, Y. B., Su, B., Jin, L., Schurr, T. G., Underhill, P. A., & Wallace, D. C. (2002). The dual origin and Siberian affinities of Native American Y chromosomes. American journal of human genetics, 70(1), 192–206. https://doi.org/10.1086/338457
  4. ^ C-M48(C-M217の下位)が33.3%、C-RPSY4(C-M217の上位)が25.9%
  5. ^ KHARKOV, Vladimir Nikolaevich, "СТРУКТУРА И ФИЛОГЕОГРАФИЯ ГЕНОФОНДА КОРЕННОГО НАСЕЛЕНИЯ СИБИРИ ПО МАРКЕРАМ Y-ХРОМОСОМЫ," Genetika 03.02.07 and "АВТОРЕФЕРАТ диссертации на соискание учёной степени доктора биологических наук," Tomsk 2012
  6. ^ a b C全体
  7. ^ Tambets, Kristiina et al. “The western and eastern roots of the Saami--the story of genetic "outliers" told by mitochondrial DNA and Y chromosomes.” American journal of human genetics vol. 74,4 (2004): 661-82. doi:10.1086/383203
  8. ^ Malhi, Ripan Singh et al. “Distribution of Y chromosomes among native North Americans: a study of Athapaskan population history.” American journal of physical anthropology vol. 137,4 (2008): 412-24. doi:10.1002/ajpa.20883
  9. ^ Schrenck,Leopold von;Reisen und Forschungen im Amur-landes in den Jahren 1854-56,Band III――Die Völker des Amur-landes.St.Petersburg,1895.
  10. ^ Czaplicka,M.A.;Aboriginal Siberia,Oxford,1914.
  11. ^ Jochelson,W;Peoples of Asiatic Russia.The American Museum of Natural History,1928.
  12. ^ 三上次男『古代東北アジア史研究』p223-224

関連項目

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参考資料

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