古川勝巳
表示
ふるかわ かつみ 古川 勝巳 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
本名 | 古川 一巳 | ||||||||
生年月日 | 1914年9月21日 | ||||||||
没年月日 | 1986年7月12日(71歳没) | ||||||||
出生地 | 日本・愛知県名古屋市中区 | ||||||||
死没地 | 日本・愛知県名古屋市昭和区妙見町(名古屋第二赤十字病院) | ||||||||
職業 | 実業家、映画プロデューサー | ||||||||
活動期間 | 1935年 - 1986年 | ||||||||
配偶者 | 古川俊子(妻) | ||||||||
著名な家族 |
古川為三郎(父親) 古川為之(次男) 古川博三(三男) | ||||||||
事務所 | 日本ヘラルド映画 | ||||||||
|
古川 勝巳(ふるかわ かつみ、1914年9月21日 - 1986年7月12日)は日本ヘラルド映画代表取締役社長。本名は古川 一巳(ふるかわ かつみ)。愛知県名古屋市中区出身。父はヘラルドグループ創業者の古川為三郎。
経歴
[編集]出生地は名古屋市であったが、父の経営する古川商店の東京進出の関係で東京に住み、橋本小学校に入学する。しかし、関東大震災を機に父が東京支店を畳むことになったため、南久屋小学校(現・名古屋市立栄小学校)に転入した。1927年に愛知県惟信中学校に入学し、1931年に名古屋高等商業学校へと進んだ。1935年に同校を卒業すると同時に資生堂に入社。1939年に結婚した。1956年に父親が立ち上げたヘラルド映画の設立に参加、同社初代代表取締役社長となる。
1986年7月12日午前8時33分、呼吸不全のため、名古屋第二赤十字病院で死亡[1]。父の為三郎(1993年没)よりも先に世を去った。
受賞歴
[編集]- 1962年 - 芸術祭賞文部大臣奨励賞
- 1963年 - 通産大臣賞
- 1975年 - イタリア有功勲章カバリエーレ章
- 1977年 - 藍綬褒章
- 1979年 - フランス芸術文化勲章シュバリエ章、オルドゥ・デザール・エデレットゥル勲章
- 1985年 - 勲三等旭日中綬章
- 1986年 - 第29回ブルーリボン賞特別賞。
家族
[編集]脚注
[編集]出典・参考文献
[編集]- 鶴田義久『黒沢映画の美術』学研、1985年。ISBN 4051016994。
- 佐藤忠男『日本の映画人―日本映画の創始者たち』日外アソシエーツ、2007年6月、526頁。ISBN 4816920358。