吉井晃
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道士別市 |
生年月日 | 1968年10月1日(56歳) |
身長 体重 |
176 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1992年 ドラフト6位 |
初出場 | 1993年4月11日 |
最終出場 | 1993年8月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督歴 | |
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この表について
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吉井 晃(よしい あきら、1968年10月1日 - )は、北海道士別市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]旭川実業高等学校では主将で全道大会ベスト8、北海道工業大学では1年秋からチーム初の1部リーグ昇格を果たすと優勝するが2年秋の入替戦で敗れた。3年秋から1部復帰すると、4年秋は分割された札幌学生野球リーグでプレーした。チームではエースながら主将で4番を打った。その後北海道拓殖銀行に就職。1992年にNTT北海道の補強選手として都市対抗野球に出場して初戦の勝利投手[1]、社会人通算15勝8敗。スリークォーターから、ストレートのMAXは135キロ。カーブ、シュート、決め球はスライダー。
1992年ドラフト6位で横浜ベイスターズに入団。
1995年に現役引退し、横浜ベイスターズの打撃投手、二軍マネージャー、一軍マネージャーを歴任し2000年に退団した。
2002年12月に青山メインランド(社長 西原良三)に入社[2]。吉井が中心となって野球部を立ち上げ、部長並びに監督を務めた[3]。東京不動産業健康保険組合主催の事業所対抗野球大会や、日本不動産野球連盟主催のRBA野球大会にエースとして登板している[4]。2013年に監督を退任し[5]、2015年5月末に退社[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1993 | 横浜 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 51 | 11.2 | 15 | 0 | 5 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 5 | 5 | 3.86 | 1.71 |
通算:1年 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 51 | 11.2 | 15 | 0 | 5 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 5 | 5 | 3.86 | 1.71 |
記録
[編集]背番号
[編集]- 43 (1993年 - 1995年)
- 93 (1996年 - 2000年)
脚注
[編集]- ^ '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
- ^ a b “職歴と学歴”. 吉井晃Facebook. 2020年9月26日閲覧。
- ^ “RBA初参加の青山メインランド 1人3役こなす吉井晃氏(42)は元横浜ベイスターズ”. RBAタイムズ (2010年5月19日). 2020年9月26日閲覧。
- ^ “青山メイン 元ベイスターズ吉井があわやノーヒッター”. RBAタイムズ (2010年6月21日). 2020年9月26日閲覧。
- ^ “青山メイン 山梨新監督「今年はやるぞ」 元ベイスターズ吉井ピンチ”. RBA野球大会 (2013年6月14日). 2020年9月26日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 吉井 晃 (akira.yoshii.5) - Facebook