コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉川良和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉川 良和(きっかわ よしかず、1943年 - )は、日本中国音楽史演劇史学者。元一橋大学社会学部教授。神奈川大学人文学研究所客員研究員[1]。専門は中国音楽史、演劇史。

吉川 良和
(きっかわ よしかず)
人物情報
生誕 1943年(80 - 81歳)
国籍 日本の旗 日本
出身校 埼玉大学人文学部
東京都立大学大学院人文科学研究科
学問
研究分野 中国音楽史
演劇史
研究機関 神奈川大学
一橋大学
学位 文学修士(東京都立大学)
学会 東方学会
テンプレートを表示

来歴・人物

[編集]

1968年埼玉大学文理学部人文科卒業。1980年東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学。1987年神奈川大学専任講師、1989年に同大学助教授、1996年に同大学教授を経て、1998年より一橋大学社会学部教授。

著書・論文

[編集]

著書

[編集]

単著

[編集]
  • 『北京における近代伝統演劇の曙光―非文字文化に魂を燃やした人々』 創文社 2012年
  • 『中国音楽と芸能』、創文社、2003年

論文

[編集]
  • 「わたくしの非文字文化芸能遍歴」(『創文』 (9), 1-3, 2013年)
  • 「江戸時代の琴歌初探」(『國學院雜誌』 110(11), 382-394, 2009年)
  • 「四川芸能との奇縁」(『東方』 (332), 2-6, 2008年)
  • 「王鐘声事蹟二攷」(『一橋社会科学』 2, 69-126, 2007年)
  • 「20世紀初頭における中国の女性と北京の演劇界」(『言語文化』 44, 88-91, 2007年)
  • 「孔子の聞いた音楽と西太后の見た演劇 -中国非文字文化の研究」(『国学院中国学会報』 52, 11-21, 2006年)
  • 「南礪系本目蓮尊者盆踊唄詞章校異初稿」(『社會學研究』 44, 3-94, 2006年)
  • 「光緒卅三年の北京における娼妓義務戯の研究」(『一橋論叢』 135(3), 386-406, 2006年)
  • 「口寄せ語りの日蓮物について」(『言語文化』 42, 93-101, 2005年)
  • 「『救母経』と『生天宝巻』の成書年代商権」(『人文研究 神奈川大学人文学会誌』 155, 9-43, 2005年)
  • 「中国非文字文化の世界とその研究をめぐって」(『創文』 (469), 15-17, 2004年)
  • A preliminary essay on the Mulian-Jiumjing and the Mulian Baojuan from the perspective of story-telling(Hitotsubashi University Research Series Social Science, 41/, 61-135, 2003)
  • 「憶故人(下)」(『東方』 (263), 14-17, 2003年)
  • 「中国古代コト属楽器札記―出土楽器と既存古楽器に関する調査報告の読み方」(『言語文化』,39/,115-124, 2002年)
  • 「憶故人(上)」(『東方』 (262), 8-12, 2002年)
  • 「漢代琴楽と孔子学鼓琴疑義」(『一橋論叢』,126(2)/, 135-153, 2001年)
  • 「浙江の民衆芸能をたずねて」(『東方』 (235), 8-11, 2000年)
  • 「日本の古典芸能と中国の伝統演劇の演出手法について」(『国文学 解釈と教材の研究』 45(2), 82-89, 2000年)
  • 「4半世紀前の香港素描」(『東方』 (186), 7-11, 1996年)
  • 「中国古代音楽史稿(14)」(共訳)(『人文研究』 (125), 21-55, 1995年)
  • 「中国古代音楽史稿(13)」(共訳)(『人文研究』 (124), 97-112, 1995年)
  • 「中国古代音楽史稿(12)」(共訳)(『人文研究』 (123), p37-68, 1995年)
  • 「中国古代音楽史稿(11)」(共訳)(『人文研究』 (122), p89-126, 1994年)
  • 「中国古代音楽史稿(10)」(共訳)(『人文研究』 (121), p21-69, 1994年)
  • 「中国古代音楽史稿(9)」(共訳)(『人文研究』 (120), p141-177, 1994年)
  • 「中国古代音楽史稿(8)」(共訳)(『人文研究』 (119), p105-142, 1993年)
  • 「中国古代音楽史稿(7)」(共訳)(『人文研究』 (118), p131-171, 1993年)
  • 「中国古代音楽史稿(6)」(共訳)(『人文研究』 (117), p31-84, 1993年)
  • 「中国古代音楽史稿(5)」(共訳)(『人文研究』 (116), p89-112, 1993年)
  • 「中国古代音楽史稿(4)」(共訳)(『人文研究』 (115), p155-194, 1993年)
  • 「中国古代音楽史稿(3)」(共訳)(『人文研究』 (114), p47-84, 1992年)
  • 「中国古代音楽史稿(2)」(共訳)(『人文研究』 (113), p119-163, 1992年)
  • 「中国古代音楽史稿(1)」(共訳)(『人文研究』 (110), p19-47, 1991年)
  • 「鬼来迎2考 -日本における仏教芸能の一表現」(『人文研究』 (112), p7-39, 1992年)
  • 「関干在日本発現的元刊」(『戯曲研究』、北京文化芸術出版社, 37/, 177-206, 1991年)
  • 「目連救母芸能初探」(『神奈川大学人文学研究所所報』, 22/, 13-45, 1989年)
  • 「上海崑劇団の『長生殿』を観て」(『悲劇喜劇』 41(12), p58-60, 1988年)
  • 「中国の語り物 -評弾について」(『季刊邦楽』 (46), p64-68, 1986年)
  • 「物部茂卿撰次≪鳥絲欄指法巻子≫研究」(『東京大学東洋文化研究所紀要』, 94/, 1-66, 1984年)
  • 「物部茂卿琴学初探」(『東洋文化研究所紀要』 (92), p11-47, 1983年)
  • 「民国初期の北京における童伶の研究」(『東洋文化』 (61), p129-155, 1981年)
  • 「民国初期の北京における坤劇の研究」(『東京大学東洋文化研究所紀要』 , 82/, 91-226, 1980年)
  • 「現存琴譜に見られる明代琴楽の俗化問題 -無文有文両派の対立を中心に」(『多摩芸術学園紀要』 (4), p38-55, 1978年)
  • 「晩清北京の戯曲改革と秦腔」(『人文学報』 (112), p33-48, 1976年)
  • 「旧伏見宮本南宮琵琶譜による唐代搊琵琶の楽譜の研究」(共訳)(『東洋音楽研究』 1974(34-37), 1-18, 1974年)

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]