吉川英治記念館
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青梅市吉川英治記念館 Yoshikawa Eiji Memorial Museum | |
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施設情報 | |
専門分野 | 吉川英治 |
事業主体 | 青梅市 |
管理運営 | フクシ・エンタープライズ |
開館 | 1977年(吉川英治国民文化振興会)、2020年(青梅市) |
閉館 | 2019年3月(吉川英治国民文化振興会) |
所在地 |
〒198-0064 日本 東京都青梅市柚木町1丁目101−1 |
位置 | 北緯35度47分46.8秒 東経139度12分47.0秒 / 北緯35.796333度 東経139.213056度座標: 北緯35度47分46.8秒 東経139度12分47.0秒 / 北緯35.796333度 東経139.213056度 |
外部リンク | 青梅市吉川英治記念館 |
プロジェクト:GLAM |
吉川英治記念館(よしかわえいじきねんかん)は、東京都青梅市にある、作家・吉川英治の資料を展示する記念館。
記念館は、公益財団法人吉川英治国民文化振興会が、青梅市内の吉川旧宅跡で1977年(昭和52年)に開設した[1]。来館者の減少に伴い2019年(平成31年)3月にいったん閉館後、財団から庭園を含む約5000平方メートルの土地や建物、約11400点の資料の寄付を受け、青梅市が事業主体の青梅市吉川英治記念館(おうめしよしかわえいじきねんかん)として2020年(令和2年)9月に再開館した[1]。
居宅には吉川が使用していた書斎が残り、青梅市の浜中啓一市長が開館前に「学術的な施設というより観光資源と位置づけ、他の観光施設とも連携して来館者を増やしたい」と話したように観光地のしての活用が目指された[2]。開館後は同市の勝沼城跡 、辛垣城跡などの城跡の「御城印」の配布などで来館者数を伸ばしている[3][4]。
敷地内には長屋門、母屋、離れ(書斎)、土蔵、資料館が建つ[5]。資料館は谷口吉郎の設計で1976年(昭和51年)竣工。吉川が戦時中の疎開のため1944年(昭和19年)から1953年(昭和28年)にかけて住んでいた[5]。吉川は「草思堂」と名付けていた[5]。
吉川英治記念館の旧吉川英治邸(草思堂)については、2023年(令和5年)2月27日付官報で国の登録有形文化財(建造物)として登録された[6]。
脚注
[編集]- ^ a b “吉川英治記念館、あすオープン 青梅市の施設として再出発 「新たなファン開拓したい」:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2021年2月25日閲覧。
- ^ “吉川英治記念館、再オープンへ 運営財団が青梅市に寄付”. 日本経済新聞 (2019年12月9日). 2021年2月25日閲覧。
- ^ “「御城印」辛垣城跡も続け 青梅市 好評受け対象拡大 : ニュース : 東京多摩 : 地域 : 読売新聞オンライン”. www.yomiuri.co.jp. 2021年2月25日閲覧。
- ^ “辛垣城跡の御城印あり 青梅の吉川英治記念館 期間限定にファン注目:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2021年2月25日閲覧。
- ^ a b c “青梅市郷土博物館”. 青梅市教育委員会. 2021年2月26日閲覧。
- ^ “旧吉川英治邸(草思堂)が国の登録有形文化財(建造物)として正式に登録されました”. 吉川英治記念館. 2024年9月8日閲覧。
外部リンク
[編集]- 青梅市吉川英治記念館
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