吉田堅治
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吉田 堅治 よしだ けんじ | |
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生誕 |
1924年5月24日 大阪府豊能郡秦野村(現在の池田市・下渋谷) |
死没 |
2009年2月24日(84歳没) 東京都 |
国籍 | 日本 |
教育 |
大阪第二師範学校卒業 (現・大阪教育大学教育学部) |
著名な実績 | 画家 |
公式サイト | [6] |
吉田 堅治(よしだ けんじ、1924年5月24日 - 2009年2月24日) は、日本の画家、芸術家。大阪府秦野村(現在の池田市)出身。
日本で小学校の教員を務めたのち40歳でフランスに渡り、「生命」をテーマにした絵画を多く描いた[1][2]。
略歴
[編集]1924年、大阪府豊能郡秦野村(現在の池田市・下渋谷)で生まれる[3][4]。1944年に大阪第二師範学校繰り上げ卒業後、土浦海軍航空隊にて特別攻撃隊(神風特別攻撃隊)の訓練を受けるが、出撃前に終戦を迎える。1946年から池田市立呉服小学校の教員となる。1951年に上京し、大田区立入新井第二小学校の美術教師となる。1964年に教員を辞して、パリへ渡り、スタンリー・ウィリアム・ヘイターの版画工房アトリエ17へ入る。[5]
スカンジナビア諸国のアーティストが中心となっていたアトリエ・デュ・ノールに加わり、ノルウェー政府から奨学金を受ける[6]。1967年にアペル・レ・フェノザから彫刻を学び[7]、1988年に亡くなるまで交友関係を保つことになる。1973年に上原寛子と結婚。1990年から3ヶ月間メキシコに滞在し、マヤ・シリーズを制作する。2009年、病気のため帰国し、84歳で死去。パリのモンパルナス墓地に妻 寛子と共に眠る。[6]
年譜
[編集]- 1924年(大正13年)大阪府豊能郡秦野村(現在の池田市・下渋谷)に生まれる。
- 1944年(昭和19年)大阪第二師範学校を繰り上げ卒業。 海軍特攻隊で訓練を受ける。
- 1946年(昭和21年)池田市立呉服小学校の教員となる。
- 1951年(昭和26年)大田区立入新井第二小学校の教員となる。
- 1964年(昭和39年)教職を辞してパリへ。40歳。スタンリー・ウィリアム・ヘイターのアトリエ17へ入る。[6]
- 1966年(昭和41年)アトリエ・デュ・ノールの結成に加わる。ノルウェー政府の給費を受ける。
- 1967年(昭和42年)アペル・レ・フェノザに彫刻を学ぶ。
- 1968年(昭和43年)イスラエルのキブツ、シャミールに2カ月入り、イスラエル各地、シリア、レバノン、ヨルダン訪問。
- 1972年(昭和47年)フランス政府より芸術家アパートの入居許可を得る。[8]
- 1973年(昭和48年)上原寛子と結婚。
- 1982年(昭和57年)ギリシャを訪れる。
- 1983年(昭和58年)20年ぶりに帰国。3ヶ月間滞在し、各地を見て回る。
- 1986年(昭和61年)妻・寛子死去。
- 1987年(昭和62年)エジプトを訪れる。
- 1989年(平成元年)アメリカを訪れる。生涯のエージェントとなるホセ・フェレズ・クーリと出会う。
- 1990年(平成2年)メキシコ、キューバに3カ月滞在、マヤ・シリーズを制作する。
- 2009年(平成21年)病気のため日本へ帰国、東京都にて死去。
- 2010年(平成22年)NHK総合テレビにてドキュメンタリー番組「生命(inochi)~孤高の画家 吉田堅治~」が放送される。[9]
主な個展
[編集]- 1957年『吉田堅治展』 村松画廊
- 1964年 竹川画廊
- 1968年 『版画展 吉田堅治』 ハイファ、ティコティン日本美術館[7]
- 1989年 『生命』 ロンドン、October Gallery
- 1991年 『Infinite Light』 ロンドン、October Gallery
- 1993年 『La Vie』 ロンドン、大英博物館[10]
- 1997年 『Yoshida Kenji EL ANTIGUO JAPON Y LO MAYA』 メキシコシティ、メキシコ近代美術館
- 1998年 『Yoshida Kenji EL ANTIGUO JAPON Y LO MAYA』 メリダ ユカタン現代美術館[7]
- 2000年 『LA VIE THE ACT OF LIVING』 ダブリン、クライストチャーチ大聖堂
- 2001年 『旅の途中で』 東京都、新宿パークタワーホール
- 2002年 『Unexpected Encounters』 ボルツァーノ、Galerie Prisma
- 2002年 『LA VIE THE ACT OF LIVING』 ノリッジ、ノリッジ大聖堂
- 2003年 『LA VIE THE ACT OF LIVING』 カンタベリー、カンタベリー大聖堂
- 2003年 『life force』 ロンドン、October Gallery
- 2006年 『La Vie et la Paix de Yoshida Kenji』 フランス、ブロワ城
- 2007年 『INOCHI TO HEIWA-LIFE AND PEACE』 ロンドン、October Gallery
- 2008年 『VIE ET PAIX』 フランス、ユネスコ本部
- 2010年 『A Celebration of Life』 ロンドン、October Gallery
- 2011年 『生命(いのち)の画家 吉田堅治展』 神奈川県、鶴岡八幡宮
- 2012年 『吉田堅治―祈り・生命の輝き』 広島県、はつかいち美術ギャラリー
- 2015年 『吉田堅治展』 愛媛県、ミウラート・ヴィレッジ
- 2021年『吉田堅治展』千葉県、鋸山美術館
脚注
[編集]- ^ Charles Darwent「Kenji Yoshida: Artist whose work was shaped by his wartime experiences」『インデペンデント』2009年3月9日[1]
- ^ 「見もの 吉田堅治さん個展―生命―」『読売新聞』2003年12月13日
- ^ “「生命」の祈り込めた画家・吉田堅治 欧州で高い評価”. マチゴト 豊中 池田. (2012年3月22日) 2019年10月28日閲覧。
- ^ “いけだ市議会だより No.120”. 池田市議会 (2010年11月1日). 2019年10月28日閲覧。
- ^ アトリエ17 | 現代美術用語辞典ver.2.0 - Artscape[2]
- ^ a b c [3] Lawrence Smith「Kenji Yoshida」『ガーディアン』2009年3月16日
- ^ a b c [4]「Kenji Yoshida」『October Gallery』
- ^ 阪上登志郎『冊子‐魂の画家 光の画家 吉田堅治伯』2010年、24-27頁
- ^ NHKクロニクル[5]
- ^ 「旬に聞け」『週刊朝日』 2001年11月23日号
参考資料
[編集]- 阿部菜穂子「英カンタベリー大聖堂を飾った異色絵画 日本人画家の切なる思い」『サンデー毎日』、2003年11月9日号
- 「CRITIQUE : KENJI YOSHIDA : ARTIST OF THE SOUL - AN INTRODUCTION」『CHIARSCURO MAGAZINE』[7]