コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉田熊次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田熊次
吉田熊次
吉田熊次
吉田熊次

吉田 熊次(よしだ くまじ、1874年明治7年)2月27日[1][2] - 1964年昭和39年)7月15日[1][2])は、日本教育学者文学博士東京帝国大学教授。

経歴

[編集]

山形県東置賜郡中川村(現在の南陽市)出身[1][2]1897年(明治30年)第一高等中学校卒業[2]1900年(明治33年)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[2]、大学院に学んだ[3]1903年(明治36年)、倫理学研究のためフランスドイツに留学した[2][3]1904年(明治37年)、東京女子高等師範学校教授・東京高等師範学校教授に就任[2][3]1907年(明治40年)、東京帝国大学文科大学助教授[2]1912年(明治45年)には文学博士の学位を取得した[2][3]1916年大正5年)、東京帝国大学文学部教授に就任[2][3]1934年(昭和9年)東京帝国大学を退官し、名誉教授となった[2][3]。同年、国民精神文化研究所研究部長[2][4]1936年(昭和11年)には『国体の本義』の編纂委員を務めた[5]

1943年(昭和18年)国民精神文化研究所を退官[2]。1964年(昭和39年)7月15日、肺炎のため死去[2]

著書

[編集]
  • 『ドェーリング氏教育学』(育成会、1901年)
  • 『ベルゲマン氏社会的教育学及進化的倫理学』(育成会、1901年)
  • 『社会的倫理学』(有朋館、1904年)
  • 『社会的教育学講義』(金港堂、1904年)
  • 『現今の教育及倫理問題』(金港堂、1904年)
  • 『実験教育学の進歩』(同文館、1908年)
  • 『系統的教育学』(弘道館、1909年)
  • 『訓練論』(弘道館、1910年)
  • 『教育的倫理学』(弘道館、1910年)
  • 『女子研究』(同文館、1911年)
  • 『国民道徳と教育』(目黒書店、1911年)
  • 『教育教授の諸問題』(目黒書店、1913年)
  • 『国民道徳の教養』(弘道館、1913年)
  • 『社会教育』(敬文館、1913年)
  • 『教育学教科書』(目黒書店、1915年)
  • 『独逸の教育』(冨山房、1915年)
  • 『現今教育思潮批判』(日本学術普及会、1915年)
  • 『教育史教科書』(目黒書店、1917年)
  • 『教育の米国』(冨山房、1918年)
  • 『我が国民道徳』(弘道館、1918年)
  • 『各科教授法教科書』(目黒書店、1919年) - 大庭儀三郎と共著
  • 『輓近教育問題の研究』(天佑社、1919年)
  • 『国民道徳とデモクラシー』(目黒書店、1919年)
  • 『教育大意要義』(目黒書店、1920年)
  • 『現今教育学説の根本思潮』(目黒書店、1921年)
  • 『倫理上より観たる我国体』(明治出版社、1921年)
  • 『子供を良く育てる法』(大日本児童協会、1922年)
  • 『本邦教育史概説』(目黒書店、1922年)
  • 『最近教育思潮』(教育研究会、1923年)
  • 『新教育思潮の批判』(教育研究会、1923年)
  • 『輓近の教育及教育学』(教育研究会、1925年)
  • 『教育の根本概念』(都村有為堂出版部、1925年)
  • 『国体と倫理』(冨山房、1925年)
  • 『倫理学概論』(目黒書店、1926年)
  • 『教育学原論』(教育研究会、1927年)
  • 『教育史綱要』(目黒書店、1927年)
  • 『教育学綱要』(目黒書店、1928年)
  • 『本邦教育史概説』(目黒書店、1929年)
  • 『陶冶と価値』(目黒書店、1929年)
  • 『西洋教育史概説』(目黒書店、1930年)
  • 『女子教育の理念』(同文書院、1931年)
  • 『教育及び教育学の本質』(目黒書店、1931年)
  • 『社会教育原論』(同文書院、1934年)
  • 『教育学説と我が国民精神』(目黒書店、1934年)
  • 『国民思想と教育』(青年教育普及会、1935年)
  • 『日本教育の理念』(北海出版社、1936年)
  • 『修身教授と国民道徳』(弘道館、1937年)
  • 『教育目的論』(目黒書店、1938年)
  • 『日本教育の理念』(啓文社、1939年)
  • 『国民学校教育論』(教育研究会、1941年)
  • 『ソ聯邦に於ける教育改革と教育思想』(畝傍書房、1942年)
  • 『教育方法論』(目黒書店、1942年)
  • 『国民学校教育論』(教育日本、1943年)

論文

[編集]
  • 「敎育者としての西村茂樹」『教育』第1巻 1号、1933年

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 山形県立図書館. “文献目録検索 人物編” (日本語). 2016年12月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 土屋忠雄『吉田熊次先生略歴・著作目録』教育哲学会、1965年5月25日。doi:10.11399/kyouikutetsugaku1959.1965.73https://doi.org/10.11399/kyouikutetsugaku1959.1965.732023年1月25日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g 人事興信録 1934, p. ヨ42.
  4. ^ 大衆人事録 1942, p. 1085.
  5. ^ 「国体の本義」編纂委員決まる『大阪毎日新聞』昭和11年6月2日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p712 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

参考文献

[編集]
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京編』帝国秘密探偵社、1942年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。