吉野ヶ里町立小川内小学校
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吉野ヶ里町立小川内小学校 | |
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北緯33度24分41秒 東経130度24分45秒 / 北緯33.411283度 東経130.412403度座標: 北緯33度24分41秒 東経130度24分45秒 / 北緯33.411283度 東経130.412403度 | |
過去の名称 |
下等小川内小学校 吉田小学校 小川内分校 尋常中副小学校 小川内分校 小川内尋常小学校 小川内尋常高等小学校 東脊振村小川内国民学校 東脊振村立小川内小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 吉野ヶ里町 |
設立年月日 | 1875年(明治8年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒842-0101 |
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈大字古小川内2063番地 | |
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吉野ヶ里町立小川内小学校(よしのがりちょうりつ おがわちしょうがっこう)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈大字古小川内[1]にあった町立の小学校。
五ヶ山ダム建設により、小川内地区が水没することになったため、2007年(平成19年)に廃止された。
概要
[編集]- 歴史
- 1875年(明治8年)創立。児童数の減少で1992年(平成4年)4月より休校となっていたが、五ヶ山ダム建設のため、2005年(平成17年)に廃校式を挙行、2007年(平成19年)校舎の解体とともに廃止された。
- 校区
- 中学校区は吉野ヶ里町立東脊振中学校であった。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年) - 東光寺を仮校舎として、「下等小川内小学校」が創立。
- 1880年(明治13年)2月 - 統合により、「吉田小学校 小川内分校」となる。
- 1885年(明治18年)- 東光寺の北隣に校舎を新築し、移転を完了。
- 1887年(明治20年)9月 - 「尋常中副小学校 小川内分校」となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、神埼郡4村(石動、大曲、松隈、三津)の区域をもって東脊振村が成立。
- 1892年(明治25年)6月 - 尋常中副小学校より分離の上、「小川内尋常小学校」として独立。
- 1903年(明治36年)- 福岡県早良郡脇山村からの委託を受け、板屋地区の児童を受け入れる[2]。
- 1908年(明治41年)4月 - 組合神埼高等小学校三津分校が廃止され、高等科を併置の上、「小川内尋常高等小学校」と改称。
- 脇山村からの委託が終了し、板屋地区の児童が転出。
- 1937年(昭和12年)- 老朽化のため大野地区に校舎を新築し、移転を完了。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「東脊振村小川内国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 1948年(昭和23年)- 中学校校舎が完成。運動場を拡張。
- 1960年(昭和35年)3月31日 - 東脊振村立東脊振中学校への統合により、小川内中学校が閉校。
- 1982年(昭和57年)- 鉄筋コンクリート造新校舎と体育館が完成。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 休校となる。
- 2005年(平成17年)10月16日 - 小川内地区離村式ならびに小川内小学校廃校式を挙行[3][4]。
- 2006年(平成18年)3月1日 - 町村合併のため、「吉野ヶ里町立小川内小学校」に改称。
- 2007年(平成19年)
- 2015年(平成27年)6月18日 - 小川内小学校遺跡の発掘調査が開始(同年8月28日まで)。
脚注
[編集]- ^ 読みは「まつぐま おおあざ ふろうごうち」。
- ^ 「福岡県教育百年史 第5巻 (通史編 1)」(福岡市教育委員会, 1980年(昭和55年)9月)p.686
- ^ a b 吉野ヶ里町の歴史 - 吉野ヶ里町ウェブサイト
- ^ 広報吉野ヶ里2006年(平成18年)5月号 (PDF) p.8 - 吉野ヶ里町ウェブサイト
- ^ これまでの小中学校の統廃合の状況(昭和58年以降) (PDF) - 佐賀県教育委員会ウェブサイト
- ^ 広報吉野ヶ里2007年(平成19年)12月号 (PDF) p.12 - 吉野ヶ里町ウェブサイト
参考資料
[編集]- 「小川内遺跡Ⅱ・小川内小学校遺跡(佐賀県文化財調査報告書 ; 第220集)」(2018年3月、佐賀県教育委員会)p.222