吉野ヶ里町立東脊振小学校
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吉野ヶ里町立東脊振小学校 | |
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北緯33度21分01.3秒 東経130度23分59.1秒 / 北緯33.350361度 東経130.399750度座標: 北緯33度21分01.3秒 東経130度23分59.1秒 / 北緯33.350361度 東経130.399750度 | |
過去の名称 |
吉田小学校中副分校 尋常中副小学校 東脊振尋常小学校 東脊振尋常高等小学校 東脊振村東脊振国民学校 東脊振村立東脊振小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 吉野ヶ里町 |
併合学校 |
公立中等石動小学校 公立中等大曲小学校 公立中等三津小学校 |
設立年月日 | 1872年(明治5年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141232700026 |
所在地 | 〒842-0102 |
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町石動2760番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
吉野ヶ里町立東脊振小学校(よしのがりちょうりつ ひがしせふりしょうがっこう)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町石動にある町立の小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1872年(明治5年)創立。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは2006年(平成18年)。2022年(令和4年)に創立150周年を迎える。
- 校章
- 中央に校名の略称「東小」(縦書き)を配している。
- 校歌
- 作詞は碇豊志雄、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「東脊振の小学」が登場する。
- 校区
- 吉野ヶ里町のうち「松隈、石動、大曲、三津」。中学校区は吉野ヶ里町立東脊振中学校[1]。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年)6月 - 学制の頒布により、石動村に「下等石動小学校」が創立。下等小学科の教授を開始。
- 1875年(明治8年)5月 - 神埼郡各4村(石動、大曲、松隈、三津)に下等小学校が設置される。
- 「下等石動小学校」・「下等大曲小学校」・「下等松隈小学校」・「下等三津小学校」
- 1880年(明治13年)2月 - 下等松隈小学校を「松隈分校」とする。新たに小川内分校を設置。
- 1881年(明治14年)7月 - 中等小学科の教授を開始。
- 「公立中等石動小学校」・「公立中等大曲小学校」・「公立中等三津小学校」・「松隈分校」・「小川内分校」
- 1884年(明治17年)5月 - 以上公立中等小学校3校(石動・大曲・三津)統合により「吉田小学校 中副分校」となる。
- 1887年(明治20年)
- 4月 - 小学校令施行により、大曲村に高等田道小学校が設置される。
- 7月 - 三津村中副に尋常小学校の新校舎が完成。
- 9月 - 中副分校が尋常吉田小学校より分離の上、「尋常中副小学校」として独立。松隈と小川内に分校を設置。五ヶ村学校組合(神埼・西郷・東脊振・仁比山・三田川)で高等神埼小学校と高等三津小学校の2校が設立される。このため、高等田道小学校は廃止され、高等科生は高等三津小学校に転出。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、神埼郡4村(石動、大曲、松隈、三津)の区域をもって東脊振村が成立。
- 1892年(明治25年)6月 - 「東脊振尋常小学校」に改称。小川内分校が分離の上、小川内尋常小学校として独立。
- 1896年(明治29年)9月 - 三津高等小学校が統合の上、神埼高等小学校三津分校となる[2]。
- 1908年(明治41年)4月 - 組合神埼高等小学校三津分校が廃止され、高等科を併置の上、「東脊振尋常高等小学校」と改称。
- 1919年(大正8年)- 東脊振村立農業補習学校が付設される[2]。
- 1927年(昭和2年)- 併置の農業補習学校が青年訓練所充当東脊振村公民学校となる[2]。
- 1935年(昭和10年)4月 - 青年学校令施行により、併置の公民学校が東脊振村青年学校となる[2]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「東脊振村東脊振国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 東脊振国民学校の初等科(6年制)は新制小学校「東脊振村立東脊振小学校」となる。
- 東脊振国民学校の高等科(2年制)は青年学校普通科とともに、新制中学校「東脊振村立東脊振中学校」(3年制)に改組される。小学校に併設される。
- 1951年(昭和26年)4月 - 中学校新校舎完成により、併設を解消[2]。
- 1957年(昭和32年)4月 - 私立東脊振幼稚園が設置される[2]。
- 1962年(昭和37年)4月 - 公立移管により東脊振村立東脊振幼稚園となる[2]。
- 1964年(昭和39年)8月 - 南校舎の3分の2が解体される。
- 1966年(昭和41年)
- 4月 - 木造新校舎(第一期工事)が完成。
- 12月 - 木造新校舎(第二期工事)が完成。
- 1980年(昭和55年)
- 2月 - 学級園・教材園が完成。
- 10月 - 鉄筋コンクリート造防音新校舎の西半分が完成。
- 12月 - 学校給食を開始。
- 1987年(昭和62年)3月 - 体育館が完成。
- 1988年(昭和63年)12月 - 南校舎の防音施設工事が完了。
- 1997年(平成9年)3月 - 二宮金次郎像を移設。
- 1998年(平成10年)
- 7月 - 図書室を拡張。
- 8月 - 特別支援学級(ふれあい学級)を開設。
- 2000年(平成12年)7月 - 視聴覚室をパソコン室に改装。
- 2006年(平成18年)
- 3月1日 - 町村合併により、「吉野ヶ里町立東脊振小学校」(現校名)に改称。
- 12月 - 旧校舎感謝の会を実施。新校舎に移転完了。
- 2007年(平成19年)4月 - 特別支援学級(おおぞら学級)を開設。
- 2018年(平成30年)- 体育館の耐震工事が完了。
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- リムジンバス福岡空港線 「東脊振庁舎前」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 佐賀県道31号佐賀川久保鳥栖線「東脊振小学校前」交差点
- 国道385号「中副」交差点
- 長崎自動車道 「東脊振IC」
周辺
[編集]- 吉野ヶ里町立東脊振中学校
- 吉野ヶ里町立東脊振幼稚園
- 吉野ヶ里町役場 東脊振庁舎(旧・東脊振村役場)
- 東脊振公民館
- 吉野ヶ里町文化体育館
- 吉野ヶ里町さざんか武道館
- 神埼警察署 東脊振警察官駐在所
- 佐賀広域消防局 神埼消防署 吉野ヶ里出張所
- 東脊振郵便局
- JAさが神埼地区東脊振東部ライスセンター
- 田手川