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吉野川橋 (徳島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳島県道39号標識
吉野川橋
吉野川橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 徳島市吉野本町)-徳島市(応神町)間
交差物件 吉野川
建設 1925-1928年
構造諸元
形式 トラス橋
全長 1,071m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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吉野川橋(よしのがわばし)は、徳島県一級河川吉野川にかかる17径間曲弦下路式ワーレントラス橋日本百名橋とくしま市民遺産に選定[1]

概要

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日本百名橋とくしま市民遺産土木学会選奨土木遺産[2]に選定されている。旧名は古川橋であり、現在の橋が竣工する直前に現在の名称に改称された。後から、片側1車線の対面通行の橋で両側に歩道橋がつけられている[3]

橋は徳島県道39号徳島鳴門線が通り、北岸の徳島市応神町古川と南岸の徳島市吉野本町を結んでいる。南岸の河川敷は徳島市民吉野川運動広場として整備されている。

約1.4 km下流には上下6車線の吉野川大橋が架かっているが、その橋が開通する以前は吉野川橋が徳島・鳴門間のメインルートであった。12年に1度塗装の塗り替えが行われる。

年表

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  • 1886年(明治19年)沖島村(現・徳島市川内町)の豊川仲太郎が、古川橋を木製の賃取橋として設置。
  • 1921年(大正10年)徳島県が古川橋の架け替えを計画。
  • 1924年(大正13年)徳島県が豊川仲太郎より古川橋を買収し、県営の賃取橋とする。
  • 1925年(大正14年)11月に着工[3]
  • 1928年(昭和3年)12月18日に竣工[3]。開通式典には、徳島県知事をはじめ4万人が参加。
  • 1965年(昭和40年)- 橋の両側に歩道橋設置。
  • 2012年(平成24年)「吉野川橋北詰アンダーパス」冠水対策のため路面をかさ上げし、高さ制限を4mから3.8mへ[4]
  • 2019年(令和元年)6月20日徳島新聞朝刊にアンダーパス設置は違法であるという内容が掲載されたが,河川法に基づく占用許可を得ており違法ではない、と川口道路整備課長が申し入れを行った[5]
  • 2021年(令和3年)規制値を超えた車両による高さ制限ゲートへの接触事故に対するドライバーへの注意喚起を目的として「高さ超過車両検出システム」を運用開始[6]

橋の概要

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  • 橋長 - 1,071 m[7]
  • 幅員 - 6.1 m
  • 着工 - 1925年(大正14年)[8]
  • 竣工 - 1928年(昭和3年)[8]
  • 開通 - 1928年(昭和3年)12月18日
  • 総工費 - 113万円
  • 設計者 - 増田淳
  • 交通量
    • 自動車 - 22,000/日
    • 自転車・歩行者 - 2,000/日

隣の橋梁

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吉野川(徳島市)
第十堰<<)名田橋 - 四国三郎橋 - 吉野川橋梁 (高徳線) - 吉野川橋 - 吉野川大橋 - 阿波しらさぎ大橋 - 徳島南部自動車道吉野川サンライズ大橋(>>紀伊水道

脚注

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  1. ^ とくしま市民遺産 - 徳島市、2016年7月18日閲覧。
  2. ^ 土木学会 平成30年度度選奨土木遺産 吉野川橋”. www.jsce.or.jp. 2022年6月9日閲覧。
  3. ^ a b c 徳島新聞 週刊阿波っ子タイムズ 第155号 2016年12月18日 5面 親子の時間 きょうは何の日?
  4. ^ 徳島県議会 2012.
  5. ^ 徳島県議会 2019.
  6. ^ 徳島県ホームページ 2021.
  7. ^ 吉野川橋(古川橋)1928-12-18 - 土木学会付属土木図書館、2016年7月18日閲覧。
  8. ^ a b 内務省土木試験所 編『本邦道路橋輯覧』41頁。 - 道路改良會、1928年3月20日発行。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯34度5分46.3秒 東経134度33分17.5秒 / 北緯34.096194度 東経134.554861度 / 34.096194; 134.554861