幣舞橋
幣舞橋 Nusamai Bridge | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 北海道釧路市 |
交差物件 | 釧路川 |
設計者 施工者 | 日立、横河[1] |
座標 | 北緯42度58分51.7秒 東経144度23分08.0秒 / 北緯42.981028度 東経144.385556度 |
構造諸元 | |
形式 | 3径間連続鋼床版箱桁橋[1] |
全長 | 124.0m[1] |
幅 | 33.8m[1] |
最大支間長 | 54.0m[1] |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
幣舞橋(ぬさまいばし、英語:Nusamai Bridge[2])は、北海道釧路市の釧路川に架かる橋。幣舞の名前はアイヌ語の「ヌサ・オ・マイ」(nusa-o-mai 幣場の・ある・ところ)が由来とされている[3][4]。
概要
[編集]釧路駅前のメインストリート(北大通)の橋であり、釧路川の最も下流に架かる橋でもある。幣舞ロータリーは国道38号終点と国道44号の起点になっている。24時間平均交通量は約35,700台(平成22年度)[5]。
主要諸元
[編集]旧幣舞橋(1928年架橋) | 幣舞橋(1976年架橋) | |
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橋長 | 114.6m[6] | 124.0m[1] |
支間割 | 22.59+3@23.16+22.56[1] | 34.5m+54.0m+34.5m[1] |
幅員 | 18.27m | 33.80m |
車道 | 12.59m(車道+軌道:2×3.55m+5.49m) | 22.50m |
歩道 | 2×2.84m | 2×5.65m |
形式 | 21.95m×5連単純鈑桁橋[1] | 3径間連続鋼床版箱桁橋[1] |
総鋼重 | 882.84t[1] | 1,323t[1] |
歴史
[編集]幣舞橋は、1889年(明治22年)に北海道内で最も長い木橋「愛北橋」(全長207m、幅3.6m)として架橋されたのが始まりである[4]。それまで渡船により越えていた釧路川に、名古屋に本社を持つ商事会社「愛北物産」が自費で架橋し、有料で橋を運営した[4]。ところが、1898年(明治31年)に橋は倒壊してしまう[4]。1900年(明治33年)、官設となる木橋(全長203m、幅4.2m)が架けられ、地域の名称から「幣舞橋」と名づけられた[4]。しかし、この橋も増水による上流からの流木や、冬場の結氷や流氷によって1909年(明治42年)に倒壊[4]。同じ年に新たな木橋(全長203m、幅4.5m)が架けられたが、流木や流水によりおよそ6年で倒壊してしまった[4]。1915年(大正4年)には幅員を拡げた新たな木橋(全長201m、幅7.2m)を架けた[4]。
1928年(昭和3年)、およそ4年の歳月をかけて永久橋(全長113m、幅18.3m)が完成。歩道と車道が分けられ、車道は片側2車線になった[4]。優雅なアーチを描くヨーロッパ風のデザインと橋上に設置された四基の大理石によるオベリスクは、頑丈なだけでなく美しさも兼備しているとして高く評価され、旧豊平橋(札幌市)、旭橋(旭川市)と並んで「北海道三大名橋」と称された[7]。1976年(昭和51年)、老朽化と渋滞緩和を目的に新たな橋が架橋された[4]。設計は市民参加型で行われ、四基のオベリスクやアーチ型などは旧橋の面影を残しながら新たな試みを採用し、橋脚上には4人の彫刻家による作品「四季の像」が設置されている[4]。
年表
[編集]- 1889年(明治22年)9月22日 - 愛北物産の私費による木橋「愛北橋」架橋。
- 1898年(明治31年) - 愛北橋が倒壊。
- 1900年(明治33年)12月 - 官営による初代「幣舞橋」架橋(木橋)。
- 1909年(明治42年) - 幣舞橋が倒壊。同年に2代目「幣舞橋」架橋(木橋)。
- 1915年(大正3年) - 2代目幣舞橋が倒壊し、3代目「幣舞橋」架橋(木橋)。
- 1924年(大正13年) - 新しい橋の工事に伴い、仮橋を設置。
- 1928年(昭和3年)11月3日 - 4代目「幣舞橋」架橋。初めて鉄筋コンクリートを使用した。
- 1975年(昭和50年)7月1日 - 新しい橋の工事に伴い、仮橋を設置[8]。
- 1976年(昭和51年)11月26日 - 現在の5代目「幣舞橋」架橋。
- 1977年(昭和52年)5月3日 - 橋脚に「道東四季の像」が完成し、除幕式が行われる[9][10]。
道東四季の像
[編集]橋脚上には橋上彫刻「道東四季の像」があり、春夏秋冬を表現している[9][11]。市民運動によって提案され資金も賄って彫像が取り付けられたのは日本国内で初めてのことであった[10][12]。
- 春の像 舟越保武 作:「若葉が萌えいずる雪解けの季節」
- 夏の像 佐藤忠良 作:「さわやかな風を受けて羽ばたく若々しさ」
- 秋の像 柳原義達 作:「迫りくる厳しい冬に立ち向かう精神と緊張感」
- 冬の像 本郷新 作:「寒さと冬をはねのけて春を待ち望む心」
周辺
[編集]釧路市のウォーターフロント開発である釧路フィッシャーマンズワーフMOOが隣接している。幣舞ロータリーはロータリー交差点であり北海道道25号釧路港線や北海道道113号釧路環状線などに接続している。ただし、環道優先のラウンドアバウトではない。幣舞ロータリーから出世坂を登ると幣舞公園入口があり、幣舞橋や釧路港を眺めることができる。
幣舞橋が登場する(ロケ地となった)作品
[編集]書籍
[編集]- 木谷恭介『釧路ぬさまい橋殺人事件』
- 桜木紫乃『ラブレス』
- 桜木紫乃『ホテルローヤル』
- 桜木紫乃『無垢の領域』
- 桜木柴乃『起終点駅 ターミナル』
- 原田康子『挽歌』
歌
[編集]映画・テレビドラマ
[編集]- 『挽歌』
- 『ハナミズキ』
- 『僕等がいた』
- 『起終点駅 ターミナル』
市民団体
[編集]釧路市の中心市街地の活性化などに向けた活動を行う市民団体「幣舞橋かいわい市民会議」(通称・ぬさまい会議)が発足しており、幣舞橋を中心とした景観を後世に伝えることも目指している[15]。
ギャラリー
[編集]-
夜の幣舞橋(2007年9月)
-
夕暮れの幣舞橋(2014年3月)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l “橋梁年鑑 幣舞橋 詳細データ”. 日本橋梁建設協会. 2015年1月29日閲覧。
- ^ “Kushiro Guide Map” (PDF) (English). Kushiro City. 2015年1月30日閲覧。
- ^ 幣場とは、神を祀るためのイナウ(木幣)を立てて並べて祭祀などの儀式を行う場所。
- ^ a b c d e f g h i j k “幣舞橋アラカルト”. 釧路開発建設部. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月29日閲覧。
- ^ “平成22年度道路交通センサス 一般交通量調査 箇所別基本表” (PDF). 道路交通センサス. 2015年1月27日閲覧。
- ^ 「幣舞橋改築工事概要」 (PDF)
- ^ “北海道三大名橋をご存じ? 豊平橋・旭橋・幣舞橋”. 北海道ファンマガジン. PNG Office (2008年3月13日). 2014年10月29日閲覧。
- ^ 関谷強; 煤賀清隆、高橋毅. “幣舞橋架換に伴う交通処理について” (PDF). 土木研究所 寒地土木研究所. 2015年1月30日閲覧。
- ^ a b “くしろアートマップ” (PDF). 北海道立釧路芸術館. 2015年1月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “歌や文学にも広く登場する霧の都・釧路のシンボル「幣舞橋」” (PDF). 北の交差点 Vol.10 AUTUMN-WINTER 2001. 北海道道路管理技術センター. 2015年1月30日閲覧。
- ^ “幣舞橋”. 釧路観光コンベンション協会. 2015年1月29日閲覧。
- ^ “釧路のシンボル 幣舞橋” (PDF). 土木紀行. 建設マネジメント技術. 2015年1月30日閲覧。
- ^ a b c “釧路川リバーサイド緑地概要”. 釧路市. 2015年1月30日閲覧。
- ^ “くしろの観光情報”. 釧路市産業振興部観光振興室. 釧路市. 2014年1月30日閲覧。
- ^ “市民団体「ぬさまい会議」発足”. 釧路新聞 (釧路新聞社). (2012年4月22日) 2015年1月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 北海道新聞社 編『北海道道路53話』北海道新聞社、1979年、164-168頁。
- 岡田慎哉; 松浦繁、千葉利則. “社会的重要性の高い橋梁の保全に関する検討 〜釧路・幣舞橋における基礎的検討事例〜” (PDF). 土木研究所 寒地土木研究所. 2015年1月30日閲覧。
- 秋本光雄; 葛西敏行、福羽一世. “観光・景観地に配慮した橋の長寿命化対策の実施について -北海道三大名橋「幣舞橋」の塗装補修-” (PDF). 土木研究所 寒地土木研究所. 2015年1月30日閲覧。
- 「幣舞橋改築工事概要」『土木建築工事画報第5巻9号』、11頁、1929年(昭和4年) (PDF) (土木学会図書館)