君谷長晴
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天文10年(1541年)1月[1] |
別名 | 長春[2] |
戒名 | 法幢院殿寂光玉泉大居士[2] |
墓所 | 玉泉寺跡(島根県邑智郡川本町三原)[2] |
主君 | 小笠原長隆 |
氏族 | 清和源氏義光流石見小笠原氏→君谷氏 |
父母 | 父:小笠原長隆[1] 母:佐波秀連娘 |
兄弟 |
小笠原長徳[1]、長晴、 小笠原長国(甘南備寺昌章)[1]、 刺賀長信、小笠原長実[1]、 小笠原長相[1]、山名式部少輔室[1] |
君谷 長晴(きみたに ながはる)は、戦国時代の武将。石見国邑智郡河本郷(現在の島根県邑智郡川本町)の温湯城を本拠地とする石見小笠原氏第12代当主・小笠原長隆の次男。
略歴
[編集]石見小笠原氏12代当主・小笠原長隆の次男として誕生[2]。石見国邑智郡君谷[3]に住し「君谷」を名乗った。
天文年間に君谷氏の祈願所として玉泉寺(曹洞宗通幻派)を開創した[2]。
天文9年(1540年)から天文10年(1541年)にかけて尼子晴久が毛利元就を攻めた吉田郡山城の戦いでは、父と共に尼子氏に味方したが、天文10年(1541年)1月に戦死した[2]。