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君谷長晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
君谷長晴
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文10年(1541年)1月[1]
別名 長春[2]
戒名 法幢院殿寂光玉泉大居士[2]
墓所 玉泉寺跡(島根県邑智郡川本町三原)[2]
主君 小笠原長隆
氏族 清和源氏義光流石見小笠原氏君谷氏
父母 父:小笠原長隆[1] 母:佐波秀連
兄弟 小笠原長徳[1]長晴
小笠原長国(甘南備寺昌章)[1]
刺賀長信小笠原長実[1]
小笠原長相[1]山名式部少輔[1]
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君谷 長晴(きみたに ながはる)は、戦国時代武将石見国邑智郡河本郷(現在の島根県邑智郡川本町)の温湯城を本拠地とする石見小笠原氏第12代当主・小笠原長隆の次男。

略歴

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石見小笠原氏12代当主・小笠原長隆の次男として誕生[2]石見国邑智郡君谷[3]に住し「君谷」を名乗った。

天文年間に君谷氏の祈願所として玉泉寺曹洞宗通幻派)を開創した[2]

天文9年(1540年)から天文10年(1541年)にかけて尼子晴久毛利元就を攻めた吉田郡山城の戦いでは、父と共に尼子氏に味方したが、天文10年(1541年)1月に戦死した[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 川本町文化財シリーズⅤ 石見小笠原氏史と伝承』33頁。
  2. ^ a b c d e f 川本町文化財シリーズⅤ 石見小笠原氏史と伝承』30頁。
  3. ^ 現在の島根県邑智郡美郷町京覧原。

出典

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  • 川本町歴史研究会編『川本町文化財シリーズⅤ 石見小笠原氏史と伝承』(川本町歴史研究会、2001年