和気清太郎
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和気 清太郎(和氣 淸太郎、わき せいたろう、1856年(安政3年4月[1][2]) - 1920年(大正9年)6月29日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]備後国世羅郡重永村(のち広島県世羅郡西大田村、現・世羅町)生まれ[1]。重永村戸長、西大田村長、世羅郡会議員、同議長、広島県農会議長、世羅郡教育会長、世羅銀行頭取となる[2]。
1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において広島7区から大手倶楽部所属で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では中立倶楽部から立候補したが落選した[4]。1920年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。