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和田彦次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和田彦次郎
日本大博覧会事務総長

和田 彦次郎(わだ ひこじろう、安政6年6月10日1859年6月10日) - 昭和14年(1939年7月12日[1][2])は、日本の衆議院議員農商務官僚貴族院勅選議員。正三位、勲一等。墓所は永平寺東京別院長谷寺

経歴

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備後国双三郡三良坂村(現在の広島県三次市)出身。明治3年(1870年)、和田村の豪農和田氏の養子となった。広島の遷喬舎という英語学校で学んだ後、神戸に出て英米人について学んだ。明治13年(1880年)、大阪中島信行古沢滋河津祐之草間時福らとともに国会期成同盟結成に参加し、『日本立憲政党新聞』の発行にあたった。

明治25年(1892年)、第2回衆議院議員総選挙国民協会から出馬し、当選[3]。以後、第8回衆議院議員総選挙まで7回連続当選を果たした。明治31年(1898年)、議員在職のまま農商務省農務局長に就任。明治36年(1903年)5月、商工局長に転任。さらに9月に農商務総務長官に昇任した(12月に農商務次官と改称)。明治40年(1907年)に次官を退任した後は、日本大博覧会事務総長、日英博覧会事務官長を歴任した[4]

明治44年(1911年)8月24日、貴族院議員に勅選[5]。死去するまでその職にあった[1][6]。また芸備鉄道創設時の社長を務めた[4]

親族

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栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』178頁。
  2. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。
  3. ^ 『立身致富信用公録』p.26
  4. ^ a b 『広島県紳士名鑑』双三郡之部 p.1
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、19頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  7. ^ 『官報』第7614号「叙任及辞令」1908年11月11日。
  8. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。
  9. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  10. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
  11. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

参考文献

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  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 『立身致富信用公録 第14編』国鏡社、1903年。 
  • 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。 
  • 『貴族院要覧(丙) 昭和13年12月増訂』貴族院事務局、1935年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


公職
先代
安広伴一郎
日本の旗 農商務総務長官
1903
次代
農商務次官に改称
先代
農商務総務長官から改称
日本の旗 農商務次官
1903 -1907
次代
久米金弥