金子誠一
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 宮城県仙台市青葉区 |
生年月日 | 1964年7月23日(60歳) |
身長 体重 |
191 cm 99 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト3位 |
初出場 | 1989年4月26日 |
最終出場 | 1995年5月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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金子 誠一(かねこ せいいち、1964年7月23日 - )は、宮城県仙台市青葉区出身の元プロ野球選手(外野手)、実業家。現在は、保険代理店・株式会社FPスタジアム代表取締役社長。
来歴・人物
[編集]東北高では、1982年にエース兼中心打者として甲子園に春・夏と連続出場を果たす。春の選抜では1回戦でPL学園高の榎田健一郎と投げ合うが敗退[1]。夏の選手権も、1回戦で熊本工業高の奥村高次、野村裕二のバッテリーに抑えられ惜敗した[2]。2年下のチームメートに控え外野手の中根仁がいた。
高校卒業後は、法政大学に進学し、東京六大学野球リーグでは在学中4回の優勝を経験。当初は投手だったが、1学年上の西川佳明や同期の猪俣隆、石井丈裕ら好投手が多く登板機会には恵まれなかった。3年次の1985年秋季リーグから外野手に転向するが、4年次の1986年春季リーグ直前にぎっくり腰となり、その後の野球人生に影を落とす[3]。しかしこの春季リーグでレギュラーに定着、四番打者としても起用された。リーグ通算28試合出場、95打数28安打、打率.295、2本塁打、18打点。他の大学同期に捕手の高田誠がいた。
大学卒業後は、社会人野球の本田技研に進み、都市対抗に2年連続出場。1988年の都市対抗では、NTT東北との1回戦で足利豊(新日本製鐵釜石から補強)から本塁打を放ち、その長打力を注目される[4]。
1988年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受け入団。「和製カンセコ」と呼ばれ[5]、長距離打者として期待される。
1年目の1989年から一軍に定着し、主に右翼手として23試合に先発出場。翌1990年も30試合に先発するが打撃面で伸び悩む。その後は右の代打として起用されるが、1993年には序盤に新庄剛志が故障欠場したこともあり、30試合に先発している。その後は出場機会が減り、1995年限りで現役引退。強肩俊足であり、191センチと大柄な体に似合わず守備には定評があった。しかし学生時代からの腰痛が慢性化し、レギュラー獲得までには至らなかった。
引退後はソニー生命保険(同社は市川和正、大門和彦といった元プロ野球選手が在籍していた)に入社し保険の営業マンに転身した後、2008年に独立し、生命保険・損害保険代理店である株式会社FPスタジアムを設立し代表取締役社長を務めている[6]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1989 | 阪神 | 81 | 132 | 120 | 15 | 25 | 4 | 2 | 4 | 45 | 12 | 2 | 1 | 0 | 0 | 11 | 0 | 1 | 37 | 0 | .208 | .280 | .375 | .655 |
1990 | 87 | 142 | 130 | 22 | 31 | 6 | 2 | 2 | 47 | 10 | 7 | 1 | 0 | 0 | 12 | 0 | 0 | 41 | 1 | .238 | .303 | .362 | .664 | |
1991 | 13 | 14 | 12 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | .167 | .286 | .167 | .452 | |
1992 | 12 | 8 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | .167 | .375 | .167 | .542 | |
1993 | 101 | 156 | 145 | 17 | 35 | 5 | 1 | 5 | 57 | 16 | 2 | 4 | 1 | 0 | 10 | 0 | 0 | 36 | 1 | .241 | .290 | .393 | .683 | |
1994 | 12 | 13 | 13 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .308 | .308 | .385 | .692 | |
1995 | 18 | 32 | 31 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | .161 | .188 | .194 | .381 | |
通算:7年 | 324 | 497 | 457 | 60 | 103 | 17 | 5 | 11 | 163 | 40 | 11 | 6 | 1 | 0 | 37 | 0 | 2 | 129 | 4 | .225 | .286 | .357 | .643 |
記録
[編集]- 初出場:1989年4月26日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤ球場)、8回表に木戸克彦の代打として出場
- 初打席:同上、8回表に西本聖の前に三振
- 初先発出場:1989年4月29日、対広島東洋カープ4回戦(阪神甲子園球場)、7番・右翼手として先発出場
- 初安打・初打点:1989年4月30日、対広島東洋カープ5回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に川端順から2点適時二塁打
- 初本塁打:1989年5月21日、対横浜大洋ホエールズ6回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に遠藤一彦からソロ
背番号
[編集]- 33 (1989年 - 1995年)
脚注
[編集]- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ 保険業界で働く元阪神・金子誠一の第二の人生 | 週刊ベースボールONLINE
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ KANEKOにSを加えるとKANSEKOになるため。日刊スポーツなどで取り上げられた。
- ^ “元虎戦士「和製カンセコ」金子誠一氏は保険代理店社長”. デイリースポーツ. (2019年1月21日) 2020年3月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 金子誠一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 株式会社FPスタジアム