唐津市立佐志小学校
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唐津市立佐志小学校 | |
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北緯33度28分50秒 東経129度56分05秒 / 北緯33.48056度 東経129.93472度座標: 北緯33度28分50秒 東経129度56分05秒 / 北緯33.48056度 東経129.93472度 | |
過去の名称 |
公立中等龍体[1]小学校 宮崎[2]小学校・佐志小学校 尋常宮崎[2]小学校・尋常佐志小学校 尋常黒崎小学校 黒崎尋常高等小学校 佐志町佐志国民学校 唐津市佐志国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 唐津市 |
併合学校 |
尋常宮崎[2]小学校 尋常佐志小学校 唐津市立佐志小学校枝去木分校 |
設立年月日 | 1875年(明治8年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141220200071 |
所在地 | 〒847-0115 |
佐賀県唐津市佐志4416番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
唐津市立佐志小学校(からつしりつ さししょうがっこう)は佐賀県唐津市佐志にある公立小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1875年(明治8年)に創立。数回の改編・改称を経て、現校名になったのは学制改革が行われた1947年(昭和22年)。2015年(平成27年)に創立140周年を迎えた。
- 校章
- 桜の花弁を海の波の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に校名の「佐」の文字を置いている。
- 校歌
- 1963年(昭和38年)に制定。作詞は中原勇夫、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「佐志小学校」が登場する。
- 通学区域
- 住所表記で唐津市の後に「橋本町、桜町、八幡町、佐志浜町、佐志中里、佐志中通、佐志南、中瀬通、唐房一~七丁目、浦、鳩川、枝去木」が続く地域[3]。
- 中学校区は唐津市立佐志中学校。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年) - 以下の小学校2校が創立。
- 「宮崎[2]小学校」(唐房村・浦村・鳩川村の三村組合立)
- 「佐志小学校」(佐志村立(単独))
- 1879年(明治12年)- 上記2校が統合され、佐志浜町に「公立中等龍体[1]小学校」が設置される。初等科と中等科を教授。
- 1882年(明治15年)- 再び「宮崎[2]小学校」(和多川沿い)と「佐志小学校」(中通り)の2校に分離。
- 1886年(明治19年)5月1日 - 小学校令の施行により、「尋常宮崎[2]小学校」・「尋常佐志小学校」に改称。尋常科(4年制)を設置。
- 1888年(明治21年)2月 - 岩野分校を尋常宮崎[2]小学校から尋常呼子小学校へ移管。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、唐房・浦・鳩川・佐志の4村は合併し、佐志村となる。
- 1891年(明治24年)9月 - 上記2校が再び統合され、「尋常黒崎小学校」に改称。佐志1番地の岩山が切り拓かれ、校地・校舎が完成。
- 中通りの旧・佐志小学校は佐志分校となる。
- 1893年(明治26年)
- 1897年(明治30年)- 湊村からの高等科委託を解消[5]。有浦村[6]より高等科委託を受ける。
- 1901年(明治34年)- 佐志村内の枝去木[7](一部)の尋常科児童を、打上村の岩野尋常小学校[8]と切木(きりご)村の大良尋常小学校に委託する。
- 切木村から一部地域の高等科児童の委託を受ける。
- 1907年(明治40年)- 小学校令改正により、義務教育年限(尋常科修業年限)が4年から6年に延長される(尋常科4年・高等科4年が「尋常科6年・高等科2年」となる)。
- 1909年(明治42年)- 岩野尋常小学校への尋常科児童委託を解消。枝去木全域の尋常科児童を打上尋常小学校に委託。
- 1911年(明治44年)- 打上尋常小学校への尋常科児童委託を解消し、枝去木全域の尋常科児童を本校に収容。
- 1914年(大正3年)4月 - 枝去木分教場を設置し、尋常科3年生までを収容。切木村からの高等科委託を解消。
- 1921年(大正10年)- 枝去木分教場に尋常科4年生までを収容。
- 1922年(大正11年)- 校地を拡張(海岸埋立)。講堂・2階建て校舎(2階建て1棟・平屋建て3棟)・運動場を新設。
- 1924年(大正13年)- 校地を更に拡張。
- 1935年(昭和10年)9月1日 - 佐志村が町制施行により、佐志町となる。
- 1941年(昭和16年)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科は「唐津市立佐志小学校」(現校名)に改編・改称。
- 1951年(昭和26年)10月 - ルース台風により、運動場護岸堤防が決壊し、校地の一部が水没。
- 1953年(昭和28年)6月 - 北部九州水害により、校地に土砂が堆積。6日間の休校を余儀なくされる。
- 1954年(昭和29年)5月から1955年(昭和30年)9月にかけて - 新校舎が完成。
- 1957年(昭和32年)9月から1962年(昭和37年)9月にかけて - 5教室を増築。
- 1958年(昭和33年)4月 - 児童数が最大の1,450名を記録。
- 1961年(昭和36年)12月 - 給食室が完成。
- 1963年(昭和38年)9月 - 校歌を制定。
- 1964年(昭和39年)9月 - 理科室が完成。
- 1966年(昭和41年)10月 - 枝去木分校の校舎を全面改築。
- 1968年(昭和43年)
- 7月 - 鉄筋コンクリート造3階建て新校舎とプールが完成。
- 9月 - 校旗を制定。
- 1969年(昭和44年)12月 - 講堂を解体し、屋内運動場(体育館)が完成。
- 1976年(昭和51年)2月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1978年(昭和53年)9月 - 新校舎が完成。
- 1979年(昭和54年)3月31日 - 枝去木分校を廃止。
- 2004年(平成16年)1月 - 道路拡張により、校門を移設。
- 2007年(平成19年)から2008年(平成20年)にかけて校舎耐震工事が完了。
- 2008年(平成20年)12月 - 給食が鎮西給食センターからの配送に変更となる。
- 2010年(平成22年)5月 - 新プールが完成。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 最寄りの幹線道路
- 国道240号・国道382号
- 佐賀県道23号唐津呼子線 「唐房入口」交差点
周辺
[編集]脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「唐津市史」(1962年(昭和37年)8月, 唐津市史編纂員会)p. 1184