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唐津市立本山小学校

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唐津市立本山小学校
2018年(平成30年)11月に撮影(解体前)
地図北緯33度19分49.2秒 東経130度02分14.9秒 / 北緯33.330333度 東経130.037472度 / 33.330333; 130.037472座標: 北緯33度19分49.2秒 東経130度02分14.9秒 / 北緯33.330333度 東経130.037472度 / 33.330333; 130.037472
過去の名称 私立貝島岩屋尋常小学校
私立岩屋尋常小学校
私立貝島岩屋国民学校
私立岩屋小学校
厳木村立本山小学校
厳木町立本山小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 唐津市
設立年月日 1915年大正4年)4月1日
閉校年月日 2011年平成23年)3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 847-3133
佐賀県唐津市厳木町本山235番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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唐津市立本山小学校(からつしりつ もとやましょうがっこう)は、佐賀県唐津市厳木町本山にあった公立小学校

2011年平成23年)3月末に唐津市立箞木小学校へ統合され、閉校した。

概要[編集]

歴史[編集]

本山小学校の前身は私立の小学校であった。本山地区には、かつて岩屋炭鉱があった。1900年明治33年)に貝島鉱業(後の貝島炭鉱)[1]東松浦郡相知町厳木村西松浦郡大川村にまたがる岩屋鉱区を買収し、1909年(明治42年)に岩屋鉱業所を設置し、操業を開始した。労働者の増加に伴い、その子女も増加したため、その教育を目的として、1915年大正4年)に貝島鉱業の社主であった貝島太助によって創設されたのが「私立貝島岩屋尋常小学校」であった。当初、校舎が完成するまでの間、箞木尋常小学校の校舎を借用していた。

戦後、1948年昭和23年)に公立移管され、「厳木村立本山小学校」となった。児童数の減少により、2011年平成23年)3月末をもって閉校し、96年の歴史に幕を下ろした。

閉校後数年は校舎が残存しており、2017年(平成29年)8月から2018年(平成30年)8月までの1年間は、校区の唐津市立厳木中学校が校舎大規模改修工事のため、移転して仮校舎として使用していた。その後、校舎は解体され、唐津市消防本部南部分署が建設されている。なお体育館は「唐津市厳木本山体育館」として残っており、グラウンドは地域住民に利用されている。

校歌[編集]

公立に移管した後の1950年(昭和25年)に制定。作詞は、公立移管後の初代校長である松尾松治郎、作曲は岡井隆一による。歌詞は3番まであり、1番の歌詞中に前身の「岩屋校」、校名の「本山」が登場していた。

沿革[編集]

前身(私立)
  • 1915年(大正4年)
    • 4月 - 箞木尋常小学校の校舎の一部を貸与し、「私立貝島岩屋尋常小学校」が開校。尋常科1~3年生261名を収容。創設は貝島鉱業所の社主、貝島太助。私立初代校長は香月為忠。
    • 6月 - 本山に校舎(第一棟)が完成したため、移転を完了。
  • 1916年(大正5年)
    • 4月 - 第二棟が完成し、4年生まで収容。
    • 11月 - 設置者が「貝島榮四郎」に変更。
  • 1918年(大正7年)4月 - 第三棟が完成。
  • 1919年(大正8年)11月 - 会社組織変更により、「私立岩屋尋常小学校」に改称。
  • 1921年(大正10年)4月 - 第四棟が完成。
  • 1924年(大正13年)1月 - 設置者が「峠延吉」に変更となる。
  • 1926年(大正15年)4月 - 箞木尋常高等小学校 高等科が卒業生(6年修了者)の受け入れを開始。
  • 1928年(昭和3年)
    • 4月 - 新校舎が完成。
    • 11月 - 校旗を制定。
  • 1930年(昭和5年)4月 - 在籍児童数がピークの1,121名に達する。
  • 1931年(昭和6年)8月 - 設置者が「貝島岩屋炭鉱株式会社」に変更となる。
  • 1933年(昭和8年)2月 - 岩屋校歌を制定。
  • 1934年(昭和9年)10月 - 剣道部を創部。
  • 1937年(昭和12年)8月 - 校旗を新調。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「私立貝島岩屋国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、国民学校初等科が「私立岩屋小学校」に改組される。
公立移管後
  • 1948年(昭和23年)4月13日 - 公立移管により、「厳木村立本山小学校」に改組・改称。
    • 校区内の児童を収容。育友会が発足。公立初代校長は松尾松治郎。
  • 1950年(昭和25年)12月 - 校歌を制定。
  • 1951年(昭和26年)2月 - 講堂が完成。
  • 1952年(昭和27年)5月3日 - 町制施行により、「厳木町立本山小学校」に改称。
  • 1958年(昭和33年)- 木造2階建て新校舎2棟が完成。
  • 1959年(昭和34年)8月 - プールが完成。
  • 1962年(昭和37年)9月 - 完全給食を実施。
  • 1967年(昭和42年)7月 - 少年剣道部を創部。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 厳木町給食センターの完成により、センターからの配送方式となる。鍵っ子学級を開設。
  • 1978年(昭和53年)7月 - 運動場に夜間照明を設置。
  • 1982年(昭和57年)- 山の子ラグビークラブを創設。
  • 1986年(昭和61年)4月 - 通学服を着用。
  • 1988年(昭和63年)7月 - 教育キャンプを開始。
  • 1990年(平成2年)3月 - 体育館が完成。
  • 1991年(平成3年)2月 - 鉄筋コンクリート造3階建の新校舎が完成。
  • 1993年(平成5年)3月 - 校門を設置。
  • 2005年(平成17年)
    • 1月1日 - 唐津市への編入により、「唐津市立本山小学校」に改称。
    • 4月1日 - 特別支援学級を設置。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月27日 - 閉校式を挙行。
    • 3月31日 - 唐津市立箞木小学校への統合により閉校。最終在籍数40名(6年生を含む)

通学区域[編集]

住所表記で唐津市厳木町の後に「高倉、本山、新屋敷、岩屋」の続く地域であった。

進学先中学校[編集]

交通アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺[編集]

参考資料[編集]

  • 「厳木町史 下巻」(2011年(平成23年)3月発行, 厳木町史編纂委員会)p.516~

脚注[編集]

  1. ^ 1931年(昭和6年)貝島鉱業・貝島商業・大辻岩屋炭鉱(1921年(大正10年)設立)が合併し、「貝島炭鉱株式会社」となる。1948年(昭和23年)大辻と岩屋が貝島炭鉱から分離。岩屋炭鉱は高倉鉱業所岩屋炭鉱となり、1953(昭和28)年には高倉鉱業の単独経営となった後、1965年(昭和40年)に閉山した。

関連事項[編集]