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国中村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くになかそん
国中村
廃止日 1953年5月5日
廃止理由 新設合併
郡家町(初代)、国中村大御門村下私都村郡家町(2代)
現在の自治体 八頭町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
八頭郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 6.09 km2
総人口 2,397
国勢調査、1950年)
隣接自治体 郡家町(初代)、船岡町河原町(初代)、国英村
岩美郡米里村
国中村役場
所在地 鳥取県八頭郡国中村大字石田百井字今島1番1地
座標 北緯35度24分06秒 東経134度14分05秒 / 北緯35.40178度 東経134.23467度 / 35.40178; 134.23467座標: 北緯35度24分06秒 東経134度14分05秒 / 北緯35.40178度 東経134.23467度 / 35.40178; 134.23467
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国中村(くになかそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは八上郡に属した。

概要

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現在の八頭町久能寺・池田・土師百井(はじももい)・万代寺・石田百井(いしだももい)・米岡、および国中(1984年に米岡の一部から設置[1])に相当する。千代川水系八東川および支流の私都川下流域の平野部に位置し、両川は当村域の西端で合流する。

村名は因幡国の中央に位置することによる[2][3]

藩政時代には鳥取藩領の八上郡岩田上庄(いわたかみのしょう)に属する米岡村・石田百井村、加茂庄に属する久能寺村・万代寺村、土師郷に属する池田村・土師百井村があった[3][4]

沿革

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  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • 1883年(明治16年)3月 - 郡家村(後の賀茂村大字郡家)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[5]
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、久能寺村・池田村・土師百井村・万代寺村・石田百井村・米岡村が合併して村制施行し、八上郡国中村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を石田百井村に設置[6]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡国中村となる。
  • 1915年(大正4年)1月1日 - 「国中村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「国中村大字◯◯」と改称[7]
  • 1927年(昭和2年)12月17日 - 役場位置を大字石田百井字今島1番1地に変更[8]
  • 1953年(昭和28年)5月5日 - 郡家町(初代)、大御門村下私都村と合併し、改めて郡家町(2代)が発足。同日国中村廃止[9]

行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 地区 備考
松沢千秋 1889年(明治22年)12月 1891年(明治24年)8月 池田
福田勇寿郎 1891年(明治24年)9月 1895年(明治28年)9月 池田
小島光造 1895年(明治28年)10月 1897年(明治30年)11月 石田百井
福田勇寿郎 1897年(明治30年)12月 1898年(明治31年)8月 池田
小島楽次郎 1898年(明治31年)8月 1899年(明治32年)8月 石田百井
福田勇寿郎 1899年(明治32年)8月 1900年(明治33年)12月 池田
森田定次郎 1901年(明治34年)1月 1901年(明治34年)5月 石田百井
谷本市次郎 1901年(明治34年)5月 1902年(明治35年)3月 米岡
福田勇寿郎 1902年(明治35年)4月 1902年(明治35年)7月 池田
猪本弥平 1902年(明治35年)9月 1904年(明治37年)4月 石田百井
亀井胤蔵 1904年(明治37年)4月 1907年(明治40年)8月 米岡
尾崎安五郎 1907年(明治40年)10月 1908年(明治41年)8月 久能寺
福田勇寿郎 1908年(明治41年)8月 1909年(明治42年)10月 池田
谷本民造 1909年(明治42年)11月 1912年(大正元年)9月 米岡
上島八千蔵 1912年(大正元年)10月 1914年(大正3年)3月 池田
三木義孝 1914年(大正3年)4月 1915年(大正4年)8月 土師百井
尾崎龍造 1915年(大正4年)10月 1918年(大正7年)2月 久能寺
小島力造 1918年(大正7年)3月 1922年(大正11年)3月 石田百井
古井実寿 1922年(大正11年)4月 1930年(昭和5年)4月 池田
三木秀胤 1930年(昭和5年)4月 1942年(昭和17年)4月 土師百井
平木豊蔵 1942年(昭和17年)4月 1945年(昭和20年)10月 久能寺
三木三良 1945年(昭和20年)10月 1950年(昭和25年)3月 土師百井
古井万寿治 1950年(昭和25年)5月 1953年(昭和28年)5月4日 池田 合併後、郡家町長に就任
参考文献 - [3][4]

教育

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交通

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鉄道

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出身者

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脚注

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  1. ^ 「鳥取県告示第357号・字の区域の新設等」『鳥取県公報 第5554号』1984年4月27日鳥取県立公文書館
  2. ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「国中村(近代)」
  3. ^ a b c 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
  4. ^ a b c 郡家町誌(郡家町誌編集委員会、1969年)
  5. ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
  6. ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
  7. ^ 「大字名改称」『官報』1914年11月28日国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 「町村役場位置変更」『官報』1927年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「鳥取県告示第147号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 第2403号』1953年4月10日(鳥取県立公文書館)

関連項目

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