国分優作
国分優作 | |
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第42回ジャパンCパドック(2022年11月27日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
茨城県勝田市 (現・ひたちなか市) |
生年月日 | 1990年12月27日(33歳) |
身長 | 167.5cm |
体重 | 52kg |
血液型 | O型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | フリー |
初免許年 | 2009年 |
免許区分 | 平地・障害[1] |
経歴 | |
所属 |
美浦・国枝栄(2009.3.1 - 2011.2.28) 栗東・フリー(2011.3.1 - 2024.4.6) 栗東・坂口智康(2024.4.7 - ) |
国分 優作(こくぶん ゆうさく、1990年12月27日 - )は日本中央競馬会・栗東トレーニングセンターに所属する騎手。
戸籍上の表記は旧字体が含まれた「國分」だが、JRAでは旧字体等での登録が認められていない為、一部の地方競馬を除いて新字体の「国分」に修正して登録している。
来歴
[編集]2006年4月に競馬学校第25期生として双子の弟・恭介らと共に入学。在学中の3年生時には弟同様、藤田伸二の特別講義を受け[2]、2009年2月に卒業。その際、成績優秀者に贈られるアイルランド大使特別賞を受賞している。
兄・優作は美浦の国枝栄厩舎、弟・恭介は栗東の五十嵐忠男厩舎と東西別れての所属となり、JRAでは柴田大知・柴田未崎以来13年振り2組目の双子騎手となった[3]。なお同期に小野寺祐太、松山弘平、丸山元気などがいる。
しかし2009年は恭介23勝に対し優作は4勝。2010年も恭介52勝に対し優作は3勝と、弟に大きく水をあけられる状況下にあったが、関西では減量騎手の起用に積極的であるという背景を考慮した当時の師匠である国枝の方針もあり、2010年11月より騎手としてはめずらしく「栗東留学」を行った[4]。
3キロ減の減量騎手ということから乗り鞍を集めた優作は徐々に勝利数も伸ばしはじめ、やがて「勝つまで乗せる」という調教師も現れるようになるなど栗東関係者より信頼を集めるようになる[5]。国枝は「美浦に帰ってくるまでに10勝してこい」と優作を送り出し、当初は2月いっぱいで美浦に戻す予定であったものの[5]、栗東で成果を出すようになった優作を呼び戻すことはせず、そのまま留め置くようになり優作は2011年3月1日より正式に栗東へ所属変更となった[6]。
2012年2-3月、カタールのアルライヤン競馬場で行われた第1回カタール見習騎手招待競走に出場(2位)[7]。
2012年の阪神ジュベナイルフィリーズでフィールドメジャーに騎乗しGI初騎乗を果たす(18頭立て11着)。
2013年8月24日、小倉第4レースでチョウワンダーに騎乗し1着、JRA通算100勝を達成した[8]。
2014年の小倉2歳ステークスをオーミアリスに騎乗して優勝し、重賞初制覇[9]。
2024年4月7日付けで栗東・坂口智康厩舎に所属となる[10]。
主な騎乗馬
[編集]- ワンアンドオンリー(デビュー戦から初勝利含め4戦連続騎乗)
- オーミアリス(2014年小倉2歳ステークス)
- ティーハーフ(2015年函館スプリントステークス)
- マイネルグリット(2019年小倉2歳ステークス)
- ユニコーンライオン(2022年福島記念)
- テンカジョウ(2024年マリーンカップ)
騎乗成績
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 2009年3月1日 | 2回中山2日1R | 3歳未勝利 | ヒラボクドリーム | 16頭 | 6 | 14着 |
初勝利 | 2009年4月19日 | 1回福島4日1R | 3歳未勝利 | ラレーヌデュバル | 15頭 | 7 | 1着 |
重賞初騎乗 | 2011年6月12日 | 3回阪神4日11R | CBC賞 | スカイノダン | 16頭 | 10 | 11着 |
重賞初勝利 | 2014年9月7日 | 2回小倉12日11R | 小倉2歳ステークス | オーミアリス | 17頭 | 15 | 1着 |
GI初騎乗 | 2012年12月9日 | 5回阪神4日11R | 阪神ジュベナイルフィリーズ | フィールドメジャー | 18頭 | 18 | 11着 |
年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 |
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2009年 | 4 | 3 | 6 | 171 | .023 | .041 | .076 |
2010年 | 3 | 12 | 12 | 255 | .012 | .059 | .106 |
2011年 | 45 | 52 | 38 | 778 | .058 | .125 | .174 |
2012年 | 31 | 32 | 38 | 708 | .044 | .089 | .143 |
2013年 | 24 | 37 | 39 | 762 | .031 | .080 | .131 |
2014年 | 28 | 28 | 29 | 638 | .042 | .084 | .127 |
2015年 | 18 | 31 | 34 | 548 | .031 | .084 | .142 |
2016年 | 7 | 20 | 20 | 404 | .017 | .067 | .116 |
2017年 | 9 | 6 | 17 | 313 | .029 | .048 | .102 |
2018年 | 8 | 9 | 19 | 387 | .021 | .044 | .093 |
中央 | 177 | 230 | 252 | 5029 | 350 | .080 | .130 |
地方 | 6 | 3 | 8 | 43 | .140 | .209 | .349 |
総合 | 183 | 233 | 260 | 5072 | .042 | .093 | .144 |
脚注
[編集]- ^ “平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月6日閲覧。
- ^ 『騎手・藤田伸二 20年の「男道」』宝島社〈別冊宝島 1684 カルチャー&スポーツ〉、2010年。ISBN 978-4796676403。「フリー百科事典『ウィキペディア』本人チェック」
- ^ ただし双子騎手自体は片方のみJRAでもう片方がNARであれば水野貴広・水野貴史兄弟が既に柴田より先にいた。また両方NARであれば竹田吉孝・竹田吉秀兄弟やかつて兵庫で騎手をしていた松本良平・松本心平兄弟の例もあった
- ^ 『競馬最強の法則』2011年1月号、KKベストセラーズ、2011年、99頁、ASIN B004DPEGGC。
- ^ a b 2011年2月5日日刊スポーツ関西版
- ^ “国分、水出騎手が所属変更=JRA”. 時事ドットコム. (2011年2月25日) 2011年2月25日閲覧。
- ^ “国分優作騎手、カタール見習騎手招待競走で2位”. netkeiba.com. 2022年1月8日閲覧。
- ^ “国分優作騎手 JRA通算100勝達成 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年8月26日閲覧。
- ^ “【小倉2歳S】伏兵オーミアリスが大外強襲V 国分優6年目の歓喜”. スポニチアネックス. (2014年9月8日) 2014年9月8日閲覧。
- ^ 国分 優作騎手が所属変更日本中央競馬会、2024年4月5日配信・閲覧