国司就久
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛永12年(1635年) |
死没 | 元禄9年11月22日(1696年12月16日) |
改名 | 桂宮次郎(幼名)→桂就久→国司就久 |
別名 | 通称:左兵衛、又兵衛 |
主君 | 毛利秀就→綱広→吉就→吉広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流桂氏→高階姓高氏庶流国司氏 |
父母 |
父:桂就正 養父:国司就直 |
妻 | 正室:国司就直の娘 |
子 | 政信 |
国司 就久(くにし なりひさ)は、江戸時代の武士。毛利氏の家臣で長州藩士。桂元忠(河内守)の長男である桂就正の嫡男だったが、国司就直の養子となる。知行は200石。
生涯
[編集]寛永12年(1635年)、長州藩士である桂就正の嫡男として生まれたが、男子のいなかった国司就直の婿養子となり、国司氏を相続した。
就久は毛利秀就、綱広、吉就、吉広の四代に仕え、元禄9年(1696年)11月22日に死去。享年62。子の政信(半十郎、六之丞、左兵衛、平兵衛)が後を継いだ。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻57「国司平兵衛」