国鉄ソ30形貨車
国鉄ソ30形貨車 | |
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ソ30形、ソ34 2009年9月19日、小樽市総合博物館 | |
基本情報 | |
車種 | 事業用車(操重車) |
運用者 |
鉄道省 運輸通信省 運輸省 日本国有鉄道 |
所有者 |
鉄道省 運輸通信省 運輸省 日本国有鉄道 |
製造所 | 国鉄浜松工場、日立製作所 |
製造年 | 1936年(昭和11年) - 1947年(昭和22年) |
製造数 | 7両 |
消滅 | 1986年(昭和61年) |
常備駅 | 秋田駅、広島駅、他 |
主要諸元 | |
車体色 | 黒、黄1号、淡緑色+黄1号の帯 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 10,000 mm |
全幅 | 2,950 mm |
全高 | 4,010 mm |
荷重 | 65* t |
自重 | 83.0 t |
換算両数 | 9.5 |
台車 | 3軸ボギー |
台車中心間距離 | 4,300 mm |
最高速度 | 65 km/h |
備考 | *扱い荷重 |
国鉄ソ30形貨車(こくてつソ30がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した事故救援用操重車(事業用貨車)である。鉄道車両の脱線事故や転覆事故の復旧に使用された。回転式キャブとクレーンを装備している。また、クレーンのブームを収めるための控車である長物車を伴っている。
概要
[編集]1928年(昭和3年)にアメリカから輸入されたソ20形をベースに、日本の事情に合わせた改良を施して国産化したのが本形式である[1]。1936年(昭和11年)から1947年(昭和22年)にかけて、国鉄浜松工場および日立製作所で7両(ソ30 - ソ36)が製造された。
扱い荷重は主巻が65t、補巻が15t(アウトリガー最大展開時)で、台車は3軸の板台枠式ボギー台車を2基備えた。当初の動力は蒸気機関で、低速での自走も可能であった。そのため、燃料の石炭2tと水10tが積載可能な二軸式の炭水車を従えていた。この炭水車は、蒸気機関車の炭水車と同じく、本体と同じ番号を称した。
蒸気機関は、使用時に無理が利き使いやすかったが、現場に到着しても蒸気圧が上がるまで時間がかかり、保守も面倒であったことから、1970年(昭和45年)から動力をソ80形と同じディーゼルエンジンに載せ替えられ、炭水車も廃棄された。
1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正では高速化不適格車とされて最高速度65km/hの指定車となり、識別のため記号に「ロ」が追加され「ロソ」となり黄色(黄1号)の帯を巻いた。
塗色は、落成時は黒であったが淡緑色に変更された。更にその後全般検査の際に、黄1号の1色塗りに変更された車が存在した。この色違いの明確な基準はなく、全般検査の際に入場する工場の違いによるものと思われる。淡緑色の車は黄1号の帯を巻いている。
ソ80形とともに大型操重車として1980年代まで使用され、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化までに全車が廃車されたが、1両(ソ34)が小樽市総合博物館に保存されている。
配置
[編集]配置は、ソ20形を含めた5両が、札幌、東京、大阪、広島、門司の5鉄道局にそれぞれ1両配置され、戦後に増備された3両は、新潟、仙台、四国の3管理局に配置された。
1980年(昭和55年)時点の常備駅(配置局)は次のとおりである。
- ソ30 - 秋田駅(秋田鉄道管理局)
- ソ31 - 広島駅(広島鉄道管理局)
- ソ32 - 高松駅(四国総局)
- ソ33 - 鳥栖駅(門司鉄道管理局)
- ソ34 - 岩見沢駅(札幌鉄道管理局)
- ソ35 - 長町駅(仙台鉄道管理局)
- ソ36 - 新津駅(新潟鉄道管理局)
参考文献
[編集]- 埴岡寿一「われら影武者軍団 国鉄の事業用車2 貨車編」 鉄道ファン 1980年7月号(No.231)
- 貨車技術発達史編纂委員会「日本の貨車―技術発達史―」2009年、社団法人日本鉄道車輌工業会
- 「第8章 貨車 第6節 事業用貨車」『鉄道技術発達史 第4篇 第2』日本国有鉄道、1958年、1165頁。doi:10.11501/2423740 。 形式図の出典
- ^ ワツト誕生二百年記念会「3.機関車編 事故救援用操重車」『図説日本蒸汽工業発達史』1938年、264頁。doi:10.11501/1686088 。 昭和13年当時の写真も掲載