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国鉄ワ21300形貨車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄ワ21300形貨車
基本情報
車種 有蓋車
運用者 鉄道省
所有者 鉄道省
改造年 1933年昭和8年)
改造数 10両
消滅 1942年(昭和17年)
主要諸元
車体色
軌間 1,067 mm
全長 7,786 mm
全幅 2,667 mm
全高 3,461 mm
荷重 13 t
実容積 32.91 m3
自重 7.47 t
換算両数 積車 1.6
換算両数 空車 0.8
走り装置 シュー式
車輪径 864 mm
軸距 3,962 mm
最高速度 65 km/h
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国鉄ワ21300形貨車(こくてつワ21300がたかしゃ)は、かつて鉄道省に在籍した13 t 積みの有蓋車である。

本形式と同様の経緯にて誕生したワ21400形についても本項目で解説する。

概要

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1933年(昭和8年)6月1日に芸備鉄道備後十日市駅 - 備後庄原駅間(後の庄原線)が買収され、それに伴い芸備鉄道に在籍していた有蓋車42両(ワ36 - ワ77)が鉄道省に編入され、形式名ワ21300形ワ21400形が付与された。

約4年後の1937年(昭和12年)7月1日に広島駅 - 備後十日市駅間も追加買収され有蓋車41両(ワ33 - ワ35、ワ78 - ワ87、ワム88 - ワム105、ワム107 - ワム111、ワム113 - ワム117)が鉄道省に編入され、ワ21300形ワ21400形に編入された。(一部の車両はワム1形へ編入された。)

当時多くの私鉄が国有化され、多くの貨車が鉄道省車籍に編入されたが、この際鉄道省形式に改番された車両と、改番されずに私鉄時代の形式番号のまま運用された車両の2種類が存在した。鉄道省形式が付与されなかった理由は、形式両数が少なかった、積載荷重10 t 以下の小型車であった、車両の構造が鉄道省貨車に対して差異が大きかったなどがある。改番されずに私鉄時代の形式番号のまま運用された車両は、運用制限車(地域限定運用車)となり数年で廃車又は他形式へと改造され形式消滅した。

ワ21300形

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前述のワ36 - ワ42は形式名ワ21300形(ワ21300 - ワ21306)が与えられ、約4年後のワ33 - ワ35はワ21307 - ワ21309と定められ、合計10両の車両が運用された。

約5年後の1942年(昭和17年)12月から1943年(昭和18年)2月にかけて全車がヤ300形(二軸救援客車)へ車種改造され形式消滅した。この際車番割付は順不同で行われた。

車体塗色は一色であり、寸法関係は、全長は7,786 mm、全幅は2,667 mm、全高は3,461 mm、実容積は32.91 m3、自重は7.47 t、換算両数は積車1.6、空車0.8である。

ワ21400形

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前述のワ43 - ワ77は形式名ワ21400形(ワ21400 - ワ21434)が与えられ、約4年後のワ78 - ワ87はワ21435 - ワ21444と定められ、合計45両の車両が運用された。

車体塗色は黒一色であり、寸法関係は、全長は7,786 mm、全幅は2,740 mm、全高は3,365 mm、実容積は32.94 m3、自重は6.90 t、換算両数は積車1.6、空車0.8である。

戦後の1950年(昭和25年)5月に「第二次貨車特別廃車」の対象形式に指定され(当時の在籍車数は28両であった)、1953年(昭和28年)に最後まで在籍した車両が廃車となり同時に形式消滅となった。

譲渡

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1949年(昭和24年)4月2日に十勝鉄道へ1両(ワ21436→ワ51)が譲渡された。

1951年(昭和26年)7月19日に秩父鉄道へ6両(ワ21409,ワ21415,ワ21419,ワ21439,ワ21441,ワ21442→ワム301 - ワム306)が譲渡された。

1953年(昭和28年)6月23日に夕張鉄道へ3両(ワ21401,ワ21408,ワ21418→ワ401 - ワ403)が譲渡された。

脚注

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参考文献

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  • 車輛形式図 貨車上巻 鉄道省工作局 復刻 鉄道史資料保存会[要ページ番号]
  • 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊[要ページ番号]
  • JAPAN RAIL CLUB 『RAIL FAN No.665』 2008年3月[要ページ番号]
  • JAPAN RAIL CLUB 『RAIL FAN No.672』 2008年9月[要ページ番号]