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圓融寺 (川崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
圓融寺
所在地 神奈川県川崎市高津区子母口27番地
山号 法性山(ほっしょうざん)
宗派 日蓮宗
寺格 平僧寺跡
本尊 三宝尊
創建年 天文3年(1534年
開山 東眼院日純
別称 下の寺
公式サイト 川崎 圓融寺
法人番号 5020005007224 ウィキデータを編集
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圓融寺(えんゆうじ)は、神奈川県川崎市高津区にある日蓮宗の寺院。「円融寺」とも表記される。

概要

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山号は法性山。旧本寺大本山池上本門寺、旧寺格は平僧寺跡。池上芳師法縁に属する。[1] 稲毛門中朗師講[2] の一である。

歴史

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元は真言宗正善坊という寺院であったが、天文3年(1534年)に池上本門寺9世・東眼院日純が当地を巡錫した折にその教化に触れ改宗し、法性山圓融寺と称したという。圓融寺の北約300mの山上に真言宗智山派の長唱山蓮乗院實相寺があり、この寺が「上の寺」と称されたのに対し圓融寺は「下の寺」と称されていた。文化元年(1804年)に記された『大過去帳』には、圓融寺は開山以来数度の火災に見舞われたと記されており、その度に再建を繰り返し護持されてきた事が窺える。その中でも最たるものが昭和20年(1945年)4月15日の川崎大空襲で、全山が灰燼に帰した上に当時の住持であった46世・慈円院日教(藤野宣教)が出征中であった事から、廃寺の危機を迎えた。しかし同年5月14日に組寺の稲毛門中朗師講より義援金が支給され、同年9月26日には仮普請の小堂が落成した。昭和22年(1947年)8月に戦死した日教の葬儀が営まれ、昭和24年(1949年)3月には47世として慈法院日晶(藤野妙晶)が入寺した。昭和25年(1950年)には本堂が、昭和43年(1968年)には庫裡が再建された。昭和47年(1972年)4月13日に日晶が遷化すると、初香山本遠寺56世・大和院日透(町田堯順)の実弟である法覚院日嘉(町田三雄)が入寺。昭和51年(1976年)に本堂が増築され、平成元年(1989年)・平成6年(1994年)にも諸堂の増改築が施された。その後、49世・章光院日大(酒井章光)と50世・日宣(中村宣樹)の手により境内地が飛躍的に拡大、平成8年(1996年)の客殿及び庫裡の新築から始まり平成23年(2011年)7月の新本堂の落慶を経て寺観が一新され、今日に至っている。

歴代住持

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歴代 法号
(俗姓・道号)
命日(享年[数え年]) 経歴
開山 東眼院日純[3] 天文19年(1550年)3月21日(69歳) 大本山 長栄山本門寺(東京都大田区池上)9世
本山 長崇山本行寺(東京都大田区池上) 10世
本山 長興山妙本寺(神奈川県鎌倉市大町)9世
秋興山淨元寺(神奈川県川崎市高津区) 改宗開山
2世 日実
3世 日養
4世 日円
5世 日躰
6世 日泉
7世 日覚
8世 日長
9世 日涼
10世 乗重院日立
11世 日光
12世 日登
13世 日慈
14世 日清 享保18年(1733年)8月26日
15世 日芳
16世 日悟
17世 日量 正徳4年(1714年)10月28日
18世 日淳
19世 日慶 享保11年(1726年)6月2日
20世 本是院日行 宝暦9年(1759年)8月18日
21世 日善
22世 恵長院日伊 宝暦5年(1755年)7月15日
23世 日真
24世 日要
25世 日充
26世 日澄
27世 日了
28世 日求
29世 (教善)
30世 (台鏡)
31世
32世
33世
34世
35世 大雲院日乗 文政7年(1824年)7月27日
36世 日孝
37世 日交
38世 竜曻院日考[4] 慶應4年(1868年)4月1日(76歳) 性光山本覚寺(東京都大田区北嶺町) 32世
39世 日彰[5]
40世 本妙院日順
(遠藤日順)
昭和7年(1932年)12月23日(83歳) 妙湖山浄瀧寺(神奈川県横浜市神奈川区)28世
41世 大常院日収
(遠山旭榮)
大正7年(1918年)6月21日(71歳) 喜昇山本成院(東京都大田区池上) 歴世
42世 常厳院日章
(石井耀元)
昭和45年(1970年)7月18日(77歳) 本山 龍水山海長寺(静岡県静岡市清水) 66世
朗栄山本妙院(東京都大田区池上) 57世
章剛山常仙院(東京都大田区池上) 49世
羽田山長照寺(東京都大田区本羽田) 20世
43世 文殊院日羑 大正7年(1918年)7月24日(22歳)
44世 辨常院日修
(荻嶋辨常)
大正14年(1925年)4月13日(46歳) 朗栄山本妙院(東京都大田区池上) 56世
45世 本是院日如
(河合泰是)
昭和25年(1950年)10月6日(76歳) 堀内山善隆寺(千葉県夷隅郡大多喜町) 42世
法雲山妙性寺(千葉県君津市大鷲) 23世
46世 慈円院日教
(藤野宣教)
昭和19年(1944年)12月30日
47世 慈法院日晶
(藤野妙晶)
昭和47年(1972年)4月13日(55歳)
48世 法覚院日嘉
(町田三雄)
平成15年(2003年)2月9日(88歳)
49世 章光院日大
(酒井章光)
平成24年(2012年)11月4日(61歳)
50世 日宣
(中村宣樹)
唯明山要法寺(青森県つがる市稲垣町)7世
長遠山寛受院(東京都豊島区南池袋) 歴世

交通

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近隣施設

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脚註

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  1. ^ 法類・法縁とは、同じ宗旨・宗派に属し密接な関係を持つ僧侶並びに寺院のこと。明治から大正に掛けては池上中道不二庵法類の中延法縁に属していた。
  2. ^ 武蔵国橘樹郡稲毛領に点在する大本山池上本門寺直末六ヶ寺(法言山安立寺龍燈山善立寺初香山本遠寺秋興山淨元寺興林山宗隆寺法性山圓融寺)の総称。
  3. ^ 東照院・恵眼院とも号した。
  4. ^ 日鏡とも号した。
  5. ^ 能王山盛圓寺(神奈川県横浜市青葉区)26世の「俊明院日彰」と同一人物である可能性が高い。その場合には、行時山光則寺(神奈川県鎌倉市長谷) 30世でもある。

参考文献

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  • 「子母口村 圓融寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ63橘樹郡ノ1、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763984/9 
  • 稲毛門中朗師講記録/稲毛門中朗師講 所蔵/大正9年(1920年)~昭和34年(1959年)
  • 『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』/日蓮宗寺院大鑑編集委員会/大本山池上本門寺/昭和56年(1981年)
  • 『日蓮宗事典』/日蓮宗事典刊行委員会/日蓮宗宗務院/昭和56年(1981年)
  • 日蓮大聖人第七百三十遠忌報恩『法性山圓融寺 本堂落慶・日宣住職入寺記念』/法性山圓融寺/法性山圓融寺/平成23年11月6日

関連項目

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外部リンク

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