土屋正敬
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土屋 正敬(つちや まさたか、生年不詳 - 正徳2年6月13日(1712年7月16日))は、江戸幕府の旗本。通称は三郎兵衛、市之丞。甲斐庄正述の二男。土屋勝正の養子となった。母は徳川忠長の家臣・大河内金七郎の娘。子に正種(早世)、正慶、大森時長(大森勝長の養子)。室は伏見御香宮神社神職三木安清の娘。
生涯
[編集]土屋正敬は、正保3年(1646年)土屋家遺跡を継ぎ、承応3年(1654年)書院番となった。万治元年(1658年)、進物にかかる役につく。延宝2年(1674年)徒組頭となり、300俵加増された。同年、布衣を許される。天和元年(1681年)目付。同年、真田信利の改易の際、上野国沼田にいき、城請取役を勤める。天和2年(1682年)上野国邑楽郡、下野国梁田郡の2郡内に500石加増される。天和3年(1683年)駿府町奉行になり、蔵米300俵加増。元禄10年(1697年)持筒頭。同年蔵米を改め、相模国鎌倉郡、下野国芳賀郡2郡のうち800石を加増とされた。合わせて知行1710石余となる。元禄11年(1698年)盗賊追補のお役目につき、元禄12年(1699年)同役を辞する。宝永元年(1704年)槍奉行。正徳2年(1712年)6月11日同役を辞し、同年6月13日死去。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜 第3輯』、國民圖書、1923年、999頁。NDLJP:1082714/508