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土屋重信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土屋 重信[注釈 1]
時代 戦国時代後期
生誕 天文13年(1544年[1]
死没 元亀元年6月28日1570年8月9日[1]
別名 甚七郎、甚助[1]
戒名 祐光[1]
主君 徳川家康
氏族 土屋氏[1]
父母 父:土屋重治[1]
兄弟 重信重利重成[2]
島田利秀の妻[2]
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土屋 重信(つちや しげのぶ)[注釈 1]は、戦国時代武将三河国本郷の人。

生涯

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父の重治とともに徳川家康に仕える。永禄7年(1564年三河一向一揆との戦いで父が戦死。元亀元年(1570年姉川の戦いで戦死した。家督は弟の重利が継いだものの天正3年(1575年小山城攻めで戦没したため、重信の娘婿である島田氏[注釈 2]に養育された重利の子・利清が継いだ[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 実名を重俊とする説もある[1]
  2. ^ 重信の娘は島田利秀に嫁ぎ、その間に島田重次があった。なお重次と土屋重利は相婿の関係にあたり、重利の嗣子・利清は重次の孫娘を妻に迎えるなど関係が深かった[1][3]

出典

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参考文献

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  • 岡崎市役所 編『岡崎市史』 1巻、名著出版、1972年。 
  • 寛政重修諸家譜』 5巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1964年。ISBN 978-4-7971-0209-3 
  • 『寛政重修諸家譜』 9巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0213-0