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土屋重利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土屋 重利[注釈 1]
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 弘治2年(1556年
死没 天正3年8月24日1575年10月8日[注釈 2][1]
別名 長吉、甚助[1]
主君 松平家康[1]
氏族 土屋氏[4]
父母 父:土屋重治[1]
兄弟 重信重利重成[4]
多田慶忠の娘[1]
利清、吉田彦大夫の妻、高木惣左衛門の妻[1]
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土屋 重利(つちや しげとし)[注釈 1]は、戦国時代から安土桃山時代武将徳川家康の家臣。

概要

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松平氏徳川氏)の家臣・土屋重治の次男として生まれる。父は永禄7年(1564年三河一向一揆との戦いで、兄の重信元亀元年(1570年姉川の戦いで戦死したため家督を継ぐ。後に家康の重臣・本多忠勝の麾下となって数度の戦功があったという。天正3年(1575年遠江小山城攻めに従軍して武田軍と戦ったが、3か所もの傷を受けて戦死した[注釈 2][1]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 実名を重勝とする説もある[1]
  2. ^ a b 寛永諸家系図伝』は没年を天正8年(1580年)としているが[2]、重利が戦死したとされる小山城攻めがあったのは寛政呈譜が示す天正3年である[3][1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『寛政重修諸家譜』, p. 229.
  2. ^ 『寛永諸家系図伝』, p. 153.
  3. ^ 林 1981, § 小山城跡.
  4. ^ a b 『寛政重修諸家譜』, pp. 228–229.

参考文献

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  • 林英夫 編『愛知県の地名』平凡社日本歴史地名大系〉、1981年。ISBN 978-4-582-91038-4 
  • 『新訂寛政重修諸家譜』 9巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0213-0 
  • 寛永諸家系図伝』 9巻、斎木一馬; 林亮勝; 橋本政宣(校訂)、続群書類従完成会、1983年。ISBN 978-4-7971-0241-3