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土岐一圭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土岐一圭
時代 江戸時代
生誕 不明
死没 万治元年(1658年[1]
別名 四郎左衛門
戒名 源流院仙岳宗心
墓所 池上本門寺
主君 豊臣秀頼
氏族 土岐氏
父母 土岐頼忠 (紀州)
兄弟 一圭満蔵
不明
義虎(義良)、瑤林院徳川頼宣室)大上臈つまの方
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土岐 一圭(とき かずよし)は、江戸時代武将紀州土岐氏頼忠流の二代目である[2]

生涯

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頼忠嫡男。豊臣秀頼高家衆。慶長20年(1615年)の大坂の陣による大坂落城後、浪人。万治元年(1658年)、武州深川にて病死。池上本門寺[3]に葬る。

系譜

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参考文献

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脚注

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注釈

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  1. ^ 紀州頼忠流七代光房宗秀)による文化8(1811)年の奥付のある旧和歌山藩士土岐家伝来の巻子本。
  2. ^ 紀州頼忠流三代義虎(宗見)の書写本を文化元(1804)年に同じく七代光房(宗秀)が書写したと奥付のある旧和歌山藩士土岐家伝来の巻子本。系図は慶応3(1867)年まで記載があり、奥付は無いが、装丁からも明治期の書写と推測される。

出典

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  1. ^ 宗秀本土岐家系譜』・『宗見本土岐家系譜
  2. ^ 宗秀本土岐家系譜』・『宗見本土岐家系譜』・『美濃明細記』。『土岐累代記』・『土岐斎藤軍記』・『寛政重修諸家譜』・『断家譜』・『系図纂要』は、一圭と次代の義虎を混同ヵ。
  3. ^ 宗見本土岐家系譜』には池上本願寺とあるが、誤写ヵ。