土岐一圭
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 万治元年(1658年)[1] |
別名 | 四郎左衛門 |
戒名 | 源流院仙岳宗心 |
墓所 | 池上本門寺 |
主君 | 豊臣秀頼 |
氏族 | 土岐氏 |
父母 | 土岐頼忠 (紀州) |
兄弟 | 一圭、 満蔵、 |
妻 | 不明 |
子 | 義虎(義良)、瑤林院(徳川頼宣室)大上臈つまの方 |
土岐 一圭(とき かずよし)は、江戸時代の武将。紀州土岐氏頼忠流の二代目である[2]。
生涯
[編集]頼忠嫡男。豊臣秀頼の高家衆。慶長20年(1615年)の大坂の陣による大坂落城後、浪人。万治元年(1658年)、武州深川にて病死。池上本門寺[3]に葬る。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 『宗秀本土岐家系譜』[注釈 1]、文化八(1811)年、個人蔵
- 『宗見本土岐家系譜』[注釈 2]、明治期、個人蔵
- 『美濃明細記』、一信社、1969年
- 『土岐累代記』、『続群書類従』21下 巻615 続合戦部45
- 『土岐斎藤軍記』、『続群書類従』21下 巻616 続合戦部46
- 『寛政重修諸家譜』巻283 清和源氏頼光流 頼芸
- 『断家譜』、続群書類従完成会、1968年
- 『系図纂要』清和源氏(6)名著出版、1994年