在大阪フィリピン総領事館
在大阪フィリピン総領事館 Konsulado Heneral ng Pilipinas sa Osaka Philippine Consulate-General in Osaka | |
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所在地 | 日本 |
住所 | 大阪府大阪市中央区城見2-1-61 トゥイン21MIDタワー24階 |
座標 | 北緯34度41分33.77秒 東経135度31分52.99秒 / 北緯34.6927139度 東経135.5313861度座標: 北緯34度41分33.77秒 東経135度31分52.99秒 / 北緯34.6927139度 東経135.5313861度 |
開設 | 1956年~1959年(在神戸領事館) 1960年~1995年(在神戸総領事館) 1995年(在大阪総領事館) |
移転 | 2001年 |
総領事 | ヴォルテール・デラ・クルズ・マウリシオ |
ウェブサイト | osakapcg |
在大阪フィリピン総領事館(ざいおおさかフィリピンそうりょうじかん、タガログ語: Konsulado Heneral ng Pilipinas sa Osaka、英語: Philippine Consulate-General in Osaka / Consulate-General of the Philippines in Osaka)は、フィリピンが日本の大阪府大阪市に設置している総領事館である。かつて兵庫県神戸市に設置されていたため、在大阪・神戸フィリピン総領事館(タガログ語: Konsulado Heneral ng Pilipinas sa Osaka-Kobe、英語: Philippine Consulate-General in Osaka-Kobe / Consulate-General of the Philippines in Osaka-Kobe)と呼ばれることもある。
歴史
[編集]1956年7月23日、日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定(日比賠償協定)が発効したことにより、日本とフィリピンの国交が再開された[1]。同年8月28日、神戸市中央区明石町に在神戸フィリピン領事館(タガログ語: Konsulado ng Pilipinas sa Kobe、英語: Philippine Consulate in Kobe / Consulate of the Philippines in Kobe)が開設された[2]。
1960年1月、神戸の領事館が昇格して在神戸フィリピン総領事館(タガログ語: Konsulado Heneral ng Pilipinas sa Kobe、英語: Philippine Consulate-General in Kobe / Consulate-General of the Philippines in Kobe)になる[2]。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災によって神戸の総領事館も被災し、総領事館の入居していた建物が崩壊した。1月18日、神戸市中央区の北野町に臨時事務所を構える。同年2月、総領事館が臨時事務所を神戸市から転出することを決定し、大阪市北区中之島のリーガロイヤルホテル大阪の大会合場を間借りする。同年5月、総領事館が大阪市中央区内淡路町のアドバンシティ内淡路町ビルに入居して、在大阪フィリピン総領事館が発足する[2]。
2001年11月26日、総領事館が現在の住所であるトゥイン21MIDタワーに移転した[2]。
所在地
[編集]〒540-6124 大阪府大阪市中央区城見2-1-61 トゥイン21MIDタワー24階[3]
領事・総領事
[編集]在神戸フィリピン領事(1956年 - 1959年)
[編集]代 | 氏名(日本語) | 氏名(英語) | 着任 | 退任 | 備考 |
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1 | ペラギオ・リャマス | Pelagio Llamas | 1956年 | 1959年 | [2] |
在神戸フィリピン総領事(1960年 - 1995年)
[編集]代 | 氏名(日本語) | 氏名(英語) | 着任 | 退任 | 備考 |
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1 | デルフィン・R・ガルシア | Delfin R. Garcia | 1960年 | 1964年 | [2] |
2 | モニコ・R・ヴィセンテ | Monico R. Vicente | 1964年 | 1971年 | [2] |
3 | ヴィクトリノ・P・パレデス | Victorino P. Paredes | 1971年 | 1977年 | [2] |
4 | ベレン・S・バウティスタ | Belen S. Bautista | 1977年 | 1982年 | [2] |
5 | トマス・R・パディーリャ | Tomas R. Padilla | 1982年 | 1983年 | [2] |
6 | オレステス・D・ベーリョ | Orestes D. Bello | 1983年 | 1984年 | [2] |
7 | トマス・R・パディーリャ | Tomas R. Padilla | 1984年 | 1986年 | 再任[2] |
8 | ロサリオ・G・ハノロ | Rosario G. Janolo | 1986年 | 1989年 | [2] |
9 | ヘスス・アルヴァロ | Jesus Alvaro | 1989年 | 1993年 | [2] |
10 | ヴィクトル・G・ガルシア3世 | Victor G. Garcia III | 1993年 | 1995年 | ロシア駐箚大使[2] |
在大阪フィリピン総領事(1995年 - )
[編集]代 | 氏名(日本語) | 氏名(英語) | 着任 | 退任 | 備考 |
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1 | ヴィクトル・G・ガルシア3世 | Victor G. Garcia III | 1995年 | 1996年 | 在神戸総領事より留任。ロシア駐箚大使[2] |
2 | スーザン・O・カストレンセ | Susan O. Castrence | 1996年 | 1999年 | [2] |
3 | ペドロ・B・フィルマリノ | Pedro B. Firmalino | 1999年 | 2001年 | [2] |
4 | アントニオ・P・ヴィリャマジョール(ビラマヨール) | Antonio P. Villamayor | 2001年 | 2005年 | [2] |
5 | マリア・ローデス・ビリャフリア・ラミロ=ロペス | Maria Lourdes Villafria Ramiro-Lopez | 2005年 | 2012年 | [2][4] |
6 | マリア・テレサ・ラティナ・タギアン | Maria Teresa Latina Taguiang | 2012年 | 2017年 | [2] |
7 | マリア・アニセタ・アイリーン・ホルティリアス・ブガリン | Maria Aniceta Aileen Hortillas Bugarin | 2017年1月 | 2021年 | 第4代東ティーモル駐箚大使[2][5] |
8 | ヴォルテール・デラ・クルズ・マウリシオ | Voltaire Dela Cruz Mauricio | 2021年 | (現職) | [2][6] |
出典
[編集]- ^ 日比関係の50年を振り返る~人流のさらなる進展に向けて | ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w The Philippine Consulate General: A Brief History
- ^ 駐日外国公館リスト アジア | 外務省
- ^ 兵庫県/マリア・ローデス・V・ラミロ・ロペス 在大阪フィリピン共和国総領事による知事表敬訪問
- ^ 在大阪・神戸フィリピン共和国総領事館ブガリン総領事の知事表敬 | 和歌山県
- ^ フィリピンの製薬産業とビジネス環境に関する講演会の開催について | 関西医薬品協会 (Philippine Pharmaceutical Industry Updates for Japan | Kansai Pharmaceutical Industries Association)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 在大阪フィリピン総領事館 (PHinOsaka) - Facebook