在日本スウェーデン大使館
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駐日スウェーデン大使館 Sveriges ambassad i Tokyo Embassy of Sweden in Tokyo | |
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所在地 | 日本 |
住所 | 東京都港区赤坂一丁目12-32 アーク森ビル16階 |
座標 | 北緯35度40分02秒 東経139度44分24秒 / 北緯35.6671134度 東経139.740135度座標: 北緯35度40分02秒 東経139度44分24秒 / 北緯35.6671134度 東経139.740135度 |
開設 | 1959年 |
移転 | 2023年7月20日 |
大使 | マリア・ヨハンナ・エリザベス リンドクイスト(臨代) |
ウェブサイト | www |
在日本スウェーデン大使館(ざいにほんスウェーデンたいしかん、スウェーデン語: Sveriges ambassad i Tokyo、英語: Embassy of Sweden in Tokyo)は、スウェーデンが日本の首都の東京に設置している大使館である。
歴史
[編集]1868年11月11日にディルク・デ・グラーフ・ファン・ポルスブルックがスウェーデンとノルウェーを代表して「大日本国瑞典国条約書」[注釈 1]を締結して以来、スウェーデンと日本は外交関係を結んでいる。1907年までスウェーデン大使は日本に常駐していなかった[2]。それ以前は、スウェーデンとノルウェーとの外交はオランダの外交使節が代行していた。日本の第二次世界大戦の敗戦後、アメリカは日本との外交関係を維持し、スウェーデンが公式に日本との外交使節を再確立するのは、占領下の日本が独立を取り戻す1952年を待つことになる[3]。
不動産
[編集]建物が建つ場所は、1930年代に起業家グループからスウェーデンの政府に寄贈されたものである。1987年、スウェーデン政府は土地の半分を10億クローネ強で売却した[4][3] 。現在のスウェーデン大使館の施設は1991年に完成し、建築家ミカエル・グラニット[5][6]と同僚加藤吉人によって設計された。大使館の建物には、大使館と公邸、ビジネス・スウェーデンの事務所および在日スウェーデン商工会議所(SCCJ)の事務所の区画が含まれる[6]。さらに職員住宅約20戸、会議施設、講堂、展示ホール、レクリエーション施設がある[5]。
- 建設した年:1989年 - 1991年
- 建築家:ミカエル・グラニット、BSK Arkitekter AB
- 住所:港区六本木1-10-3-100
- 構造:SRC
- 階数:B2/8F
- 竣工年:1991年
- 延床面積:10,360㎡
- スウェーデン大使館、東京、日本、城山ガーデン
- ベルイマン・ホール
- アルフレッド・ノーベル講堂
アクセス
[編集]改修工事のため、2023年7月20日より下記の住所で仮事務所が運営されている[7]。
歴代大使・公使
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名前 | 期間 | 役職 | 備考 |
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フレデリク・フィリップ・ファン・デル・ホーヴェン | 1871-1872[8] | 弁理公使 | |
ウィルヘルム・フェルディナンド・ヘンリック・ヴァン・ウェーケリン | 1872-1878[8] | 弁理公使 | |
エドモンドWFウィッテウォールオブスタッド | 1879-1881 | 弁理公使 | |
ヨハネス・ヤコブス・ファン・デル・プロット | 1881-1889[8] | 弁理公使 | |
ドミトリ・ルイ・ファン・バイランド | 1890-1896[8] | 弁理公使 | |
ハンニバル・カシミール・ヨハネス・テスタ | 1896-1900[8] | 弁理公使 | |
ハンニバル・カシミール・ヨハネス・テスタ | 1900-1902[8] | 特命全権公使 | |
アーサーMD Swerts de Landas Wyborgh | 1902-1905[8] | 特命全権公使 | MD Swerts de Landas Wyborgh[疑問点 ] |
ジョン・ラウドン | 1905-1906 | 臨時代理公使 | |
グスタフ・オスカー・ワレンバーグ[注釈 2] | 1906-1920[8] | 特命全権公使 | 北京。ヴァレンベリ家出身 |
デビッド・バーグストローム | 1918-1920[8] | 臨時代理公使 | 北京 |
デビッド・バーグストローム | 1920-1922[8] | 特命全権公使 | 北京 |
オスカー・エヴェルロフ | 1922-1928[8] | 特命全権公使 | 北京 |
ヨハン・ハルトマン | 1928-1936[8] | 特命全権公使 | 北京 |
ヴィダール・バッゲ | 1936-1945[8] | 特命全権公使 | バンコク |
レイフ・オールヴァル | 1949-1951 | 外交代表 | |
カール・グスタフ・ラガーフェルト | 1951-1952 | 外交代表 | |
カール・グスタフ・ラガーフェルト | 1952-1956 | 特命全権公使 | 信任状捧呈は5月15日[9] |
ターゲ・ホルム・フレデリク・グリョーンヴァル | 1956-1957 | 特命全権公使 | 信任状捧呈は7月9日[10][11] |
ターゲ・ホルム・フレデリク・グリョーンヴァル | 1957-1962 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は12月20日[10][12] ソウル (1959年着任) |
カール・フレドリク・アルムクヴィスト | 1963-1970 | 特命全権大使 [注釈 3] | ソウル |
グンナール・ヘクシャー | 1970-1975 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は12月4日[13] ソウル |
ベンクト・オデバル | 1975-1981 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は9月25日[14] ソウル (1979年離任) |
グンナール・ロネウス | 1981-1986 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は7月14日[15] |
オベ・ヘイマン | 1986-1992 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は10月24日[16] |
マグヌス・ファールキスト | 1992-1997 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は3月30日[17][18] |
クリスター・クムリン | 1997-2002 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は9月24日[19][20] |
ミカエル・リンドストローム | 2002-2006 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は11月25日[21][22] |
ステファン・ノレーン | 2006-2011 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は12月22日[23] [注釈 4][注釈 5] |
ラーシュ・ヴァリエ | 2011-2014 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は11月25日[24] [注釈 4][注釈 5] |
マグヌス・ローバック | 2014-2019 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は12月5日[25] [注釈 4][注釈 5] |
ペールエリック・ヘーグベリ | 2019-2024 | 特命全権大使 [注釈 3] | 信任状捧呈は12月12日[26] [注釈 4][注釈 5] (前任地はベトナム)[27] |
マリア・ヨハンナ・エリザベス リンドクイスト | 2024-現在 | 臨時代理大使 |
参考文献
[編集]- Edström, Bert; Vargö, Lars, eds (2019年10月4日). Sverige och Japan: diplomatiska dokument från tre sekler (スウェーデンと日本:3世紀の外交文書). Stockholm: Enheten för Asien och Oceanien, Utrikesdepartementet i samarbete med Centrum för Stillahavsasienstudier, Stockholms universitet. pp. [要ページ番号]. ISBN 91-7496-204-3 (協働事業:外務省アジア大洋州ユニット、ストックホルム大学アジア太平洋研究センター)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 同時期に日本が西欧諸国と交わした諸条約と異なり、「~条約」ではなく「~条約書」が和文での正式名称となっている。「外交史料館 ● 企画展示 明治の条約書 ―ヨーロッパ―」[1]などを参照。
- ^ ナチス・ドイツによるホロコーストからのユダヤ人救出で知られるスウェーデンの外交官ラウル・グスタフ・ワレンバーグの曾祖父。
- ^ a b c d e f g h i j k l m スウェーデン語の肩書は、Ambassadör。
- ^ a b c d 2007年4月よりマーシャル諸島共和国とミクロネシア連邦の大使を兼務。
- ^ a b c d 2008年秋より駐フィリピン・スウェーデン大使から移管、パラオ共和国大使を兼ねる。
出典
[編集]- ^ 外交史料館. ● 企画展示 明治の条約書 ―ヨーロッパ― (pdf) (Report). 日本国外務省.
- ^ “Kungl. Maj.ts Beskickningar till främmande makter.” (スウェーデン語). 2019年9月4日閲覧。 “Japan. Vården om de Förenade Rikenas diplomatiska
angelägenheter är anförtrodd åt Kungl.Nederländska Beskickningen: Envoyé Eætraordinaire och Ministre
Plénipotentiaire, Baron Arthur Martin Désiré Sweerts de Landas Wyborgh, f. 62; 02.
Legationsråd, Peder Bernt Anker [se Tyska Riket], f. 63; tillf. 04.
Militärattaché, Peter Josias Hegardt, Kapten [se 276], f. 68; 04. Marinattaché, Henry Fredrik Lindberg, Komm.Kapten [se 450], f. bO; 01.” - ^ a b Edström, Vargö 2000, pp. [, 要ページ番号], .
- ^ Svensson, Niklas; Lund, Lina (2012年10月21日). “Interna bråket om Tokyo-ambassaden (東京大使館をめぐる内紛)” (スウェーデン語). Expressen 2013年4月15日閲覧。
- ^ a b “Tokyo, Japan. Ambassadanläggning” (スウェーデン語). 国家財産庁 (2013年7月19日). 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “Startsida > Embassies > 日本大使館の建築 > 大使館の建築”. 東京: スウェーデン大使館. 2020年3月27日閲覧。
- ^ “スウェーデン大使館 Twitter”. Twitter. 2023年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 鹿島守之助 (1974年). “『日本外交史 別巻3』”. 鹿島研究所出版会. 2024年5月12日閲覧。、p.679-681「●スウェーデン王国 Kingdom of Sweden」および「●スウェーデン・ノルウェー連合 Sweden Norway Union」に記載
- ^ 『官報』第7605号(昭和27年5月17日付)320頁
- ^ a b “『外務省公表資料集 第四号』”. 外務省情報文化局第一課 (1958年). 2024年8月6日閲覧。、p.220「本邦駐割スウェーデン大使ターゲ・ホルム・フレデリク・グリヨーンヴアル閣下略歴および随員氏名等について」
- ^ 『官報』第8859号(昭和31年7月10日付)173頁
- ^ 『官報』第9302号(昭和32年12月23日付)455頁
- ^ 『官報』第13190号(昭和45年12月7日付)13頁
- ^ 『官報』第14624号(昭和50年10月1日付)24頁
- ^ 『官報』第16342号(昭和56年7月17日付)11頁
- ^ 『官報』第17912号(昭和61年10月28日付)12頁
- ^ “信任状捧呈式(平成4年)”. 宮内庁. 2024年8月6日閲覧。
- ^ 『官報』第878号(平成4年4月1日付)12頁
- ^ “信任状捧呈式(平成9年)”. 宮内庁. 2024年8月6日閲覧。
- ^ 『官報』第2230号(平成9年9月26日付)12頁
- ^ “信任状捧呈式(平成14年)”. 宮内庁. 2024年8月6日閲覧。
- ^ 『官報』第3497号(平成14年11月28日付)12頁
- ^ “新任駐日スウェーデン大使の信任状捧呈について”. 外務省 (2006年12月21日). 2024年8月6日閲覧。
- ^ “新任駐日スウェーデン大使の信任状捧呈”. Internet Archive. 外務省 (2011年11月25日). 2011年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月6日閲覧。
- ^ “新任駐日スウェーデン大使の信任状捧呈”. 外務省 (2014年12月5日). 2024年8月6日閲覧。
- ^ “駐日スウェーデン大使の信任状捧呈”. 外務省 (2019年12月12日). 2024年8月6日閲覧。
- ^ “東京、日本のスウェーデン大使館へようこそ。> ペールエリック・ヘーグべリ大使”. スウェーデン大使館. 2020年3月27日閲覧。
外部リンク
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