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坊城俊周

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ぼうじょう としかね

坊城 俊周
生誕 (1927-03-17) 1927年3月17日
日本の旗 日本 東京府東京市
死没 (2011-05-31) 2011年5月31日(84歳没)
死因 心不全
出身校 学習院高等科文科
職業 実業家
子供 坊城俊成
坊城俊良・坊城朔子
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坊城 俊周(ぼうじょう としかね、1927年昭和2年)3月17日[1][2] - 2011年平成23年)5月31日[2])は、日本の実業家フジテレビジョン常務取締役、共同テレビジョン社長。宮中歌会始披講会会長。

来歴・人物

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東京市伯爵坊城俊良の四男として生まれる[1][3]1947年学習院高等科文科を卒業[2]1948年から宮内庁式部職嘱託となり、歌会始講師(こうじ)、宮中歌会始披講会会長を務めた[2]

1949年文化放送に入社[2]1958年、フジテレビジョンに転じ、編成局長、取締役、常務を歴任し、1998年に退任した[2]。また、1980年には共同テレビジョン社長に就任し、会長も務めた[2]

2011年5月31日、心不全で死去。84歳没[4]

1960年4月6日、フジの『スター千一夜』に島津貴子が出演した[5]。これには当時芸能部、第二班長だった坊城の側面からの協力が大きかった[5]。というのも、島津家と坊城家は戦前から親交があって、坊城の両親が、島津久永・貴子の結婚の仲人をしたからである[5]。貴子が出演したこの日は、ちょうど新婚1ヶ月目に当たり、三木鶏郎がインタビューアーだった[5]視聴率は、41.5%であった[5]

親族

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著書

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  • 『アポロの月 : 歌集』坊城俊周、1987年1月。
  • 『立春大吉 : 歌文集』坊城俊周、1996年2月。
  • 『金婚 : 歌文集』坊城俊周、2005年10月。
  • 坊城俊周著、三田芳美編『坊城家代代記』坊城俊周、2011年2月。

脚注

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  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、470頁。
  2. ^ a b c d e f g 『現代物故者事典 2009~2011』542頁。
  3. ^ 『人事興信録』第14版 下、ホ6頁。
  4. ^ 坊城俊周・宮中歌会始披講会会長、元フジテレビ常務が死去”. 日本経済新聞 (2011年6月1日). 2024年4月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e 村上 2005, p. 62.

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年11月。ISBN 978-4642036719
  • 『現代物故者事典 2009~2011』日外アソシエーツ、2012年3月。ISBN 978-4816923579
  • 村上七郎『ロングラン マスコミ漂流50年の軌跡』扶桑社、2005年6月。ISBN 978-4594049478