坊城俊昌
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時代 | 安土桃山時代-江戸時代 |
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生誕 | 天正10年(1582年) |
死没 | 慶長14年8月17日(1609年9月15日) |
官位 | 従四位上、参議 |
主君 | 後陽成天皇 |
氏族 | 勧修寺家→坊城家 |
父母 |
父:勧修寺晴豊、母:土御門有脩の娘 養父:坊城俊名 |
兄弟 | 光豊、経遠、行源、俊昌、致康、承章、佐久間安政室 |
妻 | 松倉重政の娘 |
子 | 経広、俊完、小堀正春室 |
特記 事項 | 中絶した坊城家を再興。 |
坊城 俊昌(ぼうじょう としまさ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての公家(公卿)。
堂上家(家格は、名家、藤原北家高藤流勧修寺庶流)である、坊城家の9代当主。
経歴
[編集]准大臣・勧修寺晴豊の四男。母は刑部卿兼陰陽頭・土御門有脩の娘。室は豊後守・松倉重政の娘。兄弟に権大納言・勧修寺光豊、蔵人頭・甘露寺経遠、讃岐守・伊達源行、右京亮・阿部致康、相国寺95世・鳳林承章など。実子に権大納言・勧修寺経広、権大納言・坊城俊完(はじめ、権中納言・葉室頼宣の養子)、左馬助・小堀正春(遠州流)の室など。
文禄4年(1595年)、権中納言・坊城俊名の没後、55年に渡り中絶していた坊城家を再興。
慶長14年(1609年)7月19日、参議に叙官されるが同年に没。極位は、従四位上。