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基貞親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
基貞親王
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 天長4年(827年)5月
薨去 貞観11年9月21日869年10月29日)
官位 三品上総太守
父母 父:淳和天皇、母:正子内親王
兄弟 恒世親王氏子内親王、有子内親王、貞子内親王、恒貞親王基貞親王恒統親王良貞親王
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基貞親王(もとさだしんのう)は、淳和天皇の第三皇子。官位三品上総太守

経歴

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仁明朝承和11年(844年三品に叙せられ、承和13年(846年上総太守に任じられる。承和15年(848年)2月に上総国で俘囚の丸子廻毛らが反乱を起こす[1]。反乱はまもなく鎮圧されるが、翌嘉祥2年(849年病気を理由に入道を願う上表を行い、許されて出家大乗戒を受ける。

清和朝貞観11年(869年)9月21日に病により薨去享年43。

容貌が清く秀でており、非常に誠実で孝行心があったという[2]

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本後紀』承和15年2月10日,12日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観11年9月21日条
  3. ^ 日本三代実録』による。『本朝皇胤紹運録』では貞観10年9月21日出家、22日薨とする。

参考文献

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