コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

本朝皇胤紹運録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)は、天皇皇族系図紹運録紹運図本朝帝皇紹運録帝王御系図帝皇系譜とも。皇室系図の代表的存在であり[1]、『皇統譜』成立以前の一般的な歴代天皇代数はこれに基づいている[2]

後小松上皇の勅命により、時の内大臣洞院満季が、当時に流布していた『帝王系図』など多くの皇室系図を照合勘案、これに天神七代地神五代を併せて、応永33年(1426年)に成立した。当初おそらくは称光院までの系譜が編纂され、また本来は満季の祖父の公定編纂の『尊卑分脈』と併せて一対としていたらしい。名の由来は、中国南宋の『歴代帝王紹運図』。

内容は神代に始まり、天照大神以下の5代を掲げ、神武天皇以下の歴代をそれに続ける。歴代天皇を諡号または院号とともに中心に据え、代数・生母・・在位年数や立太子/践祚/即位/譲位/崩御の年月日・御陵などの事項を列記する。その他父子・兄弟などの皇族も続柄で系線で結び、右から左に綴る横系図の形式を採用し、生母・略歴・極位・極官・薨年などの注記(尻付)を施している。

後世には、文亀2年(1502年)には三条西実隆による増補が行われたのをはじめ、書写・刊行されるたびごとに当時の天皇・皇族まで増追補が行われ、写本刊本の間でも内容に異同が多いが、数ある皇室系図の中で権威があるものとされる。江戸時代まで皇室においては、この本朝皇胤紹運録に基づく歴代天皇の代数が用いられてきた[3]。刊本では群書類従本が最も著名で、昭和天皇までの系譜が書き継がれている。

現在の皇統譜と異なり、神功皇后北朝光厳院光明院崇光院後光厳院後円融院を歴代天皇とする一方、廃帝弘文天皇仲恭天皇南朝後村上院長慶院後亀山院を歴代外としており、北朝正統に依拠している。本朝皇胤紹運録の編纂には、南朝の天皇の正統性を否定する目的があったとも言われている[2]。なお、現在の「皇統譜」は、明治維新後に再び南北朝正閏論が活発化して以降に、南朝正統論に基づく南朝天皇を歴代に加えている。元老院が編纂した『纂輯御系図』(明治10年(1877年)初版)では、本系図を基礎にしつつ諸本を校合して、更なる信憑性の向上が図られているとされる。

なお、天明5年(1785年)に津久井尚重の著した『南朝(皇胤)紹運録』(『南朝編年記略』の付録)は全くの別系図である。

本朝皇胤紹運録における歴代天皇

[編集]
天皇      代数(皇統譜 代数(本朝皇胤紹運録) 表記(本朝皇胤紹運録) 備考
神武天皇 1 1 神武天皇
綏靖天皇 2 2 綏靖天皇
安寧天皇 3 3 安寧天皇
懿徳天皇 4 4 懿徳天皇
孝昭天皇 5 5 孝昭天皇
孝安天皇 6 6 孝安天皇
孝霊天皇 7 7 孝霊天皇
孝元天皇 8 8 孝元天皇
開化天皇 9 9 開化天皇
崇神天皇 10 10 崇神天皇
垂仁天皇 11 11 垂仁天皇
景行天皇 12 12 景行天皇
成務天皇 13 13 成務天皇
仲哀天皇 14 14 仲哀天皇
神功皇后 15 神功皇后 在位期間は摂政と明記されるが、歴代天皇に含まれる。
応神天皇 15 16 応神天皇
仁徳天皇 16 17 仁徳天皇
履中天皇 17 18 履中天皇
反正天皇 18 19 反正天皇
允恭天皇 19 20 允恭天皇
安康天皇 20 21 安康天皇
雄略天皇 21 22 雄略天皇
清寧天皇 22 23 清寧天皇
顕宗天皇 23 24 顕宗天皇 飯豊天皇[4]が姉として挿入される。
仁賢天皇 24 25 仁賢天皇
武烈天皇 25 26 武烈天皇
継体天皇 26 27 継体天皇
安閑天皇 27 28 安閑天皇
宣化天皇 28 29 宣化天皇
欽明天皇 29 30 欽明天皇
敏達天皇 30 31 敏達天皇
用明天皇 31 32 用明天皇
崇峻天皇 32 33 崇峻天皇
推古天皇 33 34 推古天皇
舒明天皇 34 35 舒明天皇
皇極天皇 35 36 皇極天皇
孝徳天皇 36 37 孝徳天皇
斉明天皇 37 38 斉明天皇 皇極天皇重祚
天智天皇 38 39 天智天皇
弘文天皇 39 大友皇子
天武天皇 40 40 天武天皇
持統天皇 41 41 持統天皇
文武天皇 42 42 文武天皇
元明天皇 43 43 元明天皇
元正天皇 44 44 元正天皇
聖武天皇 45 45 聖武天皇
孝謙天皇 46 46 孝謙天皇
淳仁天皇 47 47 淡路廃帝 廃帝」であるが、歴代天皇に含まれる。即位礼等有り。
称徳天皇 48 48 称徳天皇 孝謙天皇重祚
光仁天皇 49 49 光仁天皇
桓武天皇 50 50 桓武天皇
平城天皇 51 51 平城天皇
嵯峨天皇 52 52 嵯峨天皇
淳和天皇 53 53 淳和天皇
仁明天皇 54 54 仁明天皇
文徳天皇 55 55 文徳天皇
清和天皇 56 56 清和天皇
陽成天皇 57 57 陽成院(陽成天皇) 「陽成天皇」とするものと、「陽成院」とするものとがある。
光孝天皇 58 58 光孝天皇
宇多天皇 59 59 宇多院(宇多天皇) 「宇多天皇」とするものと、「宇多院」とするものとがある。
醍醐天皇 60 60 醍醐天皇
朱雀天皇 61 61 朱雀天皇
村上天皇 62 62 村上天皇
冷泉天皇 63 63 冷泉院
円融天皇 64 64 円融院
花山天皇 65 65 花山院
一条天皇 66 66 一条院
三条天皇 67 67 三条院
後一条天皇 68 68 後一条院
後朱雀天皇 69 69 後朱雀院
後冷泉天皇 70 70 後冷泉院
後三条天皇 71 71 後三条院
白河天皇 72 72 白河院
堀河天皇 73 73 堀河院
鳥羽天皇 74 74 鳥羽院
崇徳天皇 75 75 崇徳院
近衛天皇 76 76 近衛院
後白河天皇 77 77 後白河院
二条天皇 78 78 二条院
六条天皇 79 79 六条院
高倉天皇 80 80 高倉院
安徳天皇 81 81 安徳帝
後鳥羽天皇 82 82 後鳥羽院
土御門天皇 83 83 土御門院
順徳天皇 84 84 順徳院
仲恭天皇 85 九条廃帝 承久の乱にて廃位され、歴代天皇に含まれず。即位礼等も無し。
後堀河天皇 86 85 後堀河院
四条天皇 87 86 四条院
後嵯峨天皇 88 87 後嵯峨院
後深草天皇 89 88 後深草院
亀山天皇 90 89 亀山院
後宇多天皇 91 90 後宇多院
伏見天皇 92 91 伏見院
後伏見天皇 93 92 後伏見院
後二条天皇 94 93 後二条院
花園天皇 95 94 花園院
後醍醐天皇 96 95 後醍醐院 2度の在位だが、便宜上1代としている。
後村上天皇 97 義良親王 「南方で天皇と称し、後村上天皇と号した人」と注意書きがなされている[2]
長慶天皇 98 寛成親王 「南方で自ら勝手に天皇と名乗り、長慶天皇と号した人」と注意書きがなされている[2]
後亀山天皇 99 熙成王 「吉野で降伏したあと、本当は天皇でなかったのだけれど便宜的に太上天皇とされ、後亀山院と号した人」と注意書きがなされている[2]
光厳天皇 北朝1 96 光厳院 後醍醐天皇廃位されているが、その後治天の君として政権を奪還し、京都に北朝を開いた。
光明天皇 北朝2 97 光明院 続神皇正統記』では、後醍醐(95)、光厳(96)、後醍醐(97)、光明(98)としている。
崇光天皇 北朝3 98 崇光院 正平一統の際、南朝の後村上天皇から廃位され、同天皇より尊号を受けた。その後賀名生に拉致されたが、後光厳天皇(北朝4代)が即位し、北朝は復活した。
後光厳天皇 北朝4 99 後光厳院
後円融天皇 北朝5 100 後円融院
後小松天皇 100 101 後小松院 皇統譜では後亀山天皇(99代)からの譲位として第100代天皇とするが、自身が編纂を命じた本朝皇胤紹運録ではあくまで父の後円融天皇(北朝5代)からの譲位として後小松天皇を第101天皇とし、南朝からの皇位継承は認めていない。
称光天皇 101 102 称光院
後花園天皇 102 103 後花園院 伏見宮貞成親王の実子だが、後小松上皇猶子として即位したため後小松院の皇子として記される。
後土御門天皇 103 104 後土御門院
後柏原天皇 104 105 後柏原院
後奈良天皇 105 106 後奈良院
正親町天皇 106 107 正親町院
後陽成天皇 107 108 後陽成院
後水尾天皇 108 109 後水尾院
明正天皇 109 110 明正院
後光明天皇 110 111 後光明院
後西天皇 111 112 後西院
霊元天皇 112 113 霊元院
東山天皇 113 114 東山院
中御門天皇 114 115 中御門院
桜町天皇 115 116 桜町院
桃園天皇 116 117 桃園院
後桜町天皇 117 118 後桜町院
後桃園天皇 118 119 後桃園院
光格天皇 119 120 光格天皇 閑院宮典仁親王の実子であるが、後桃園院の皇子として記される。宸翰[5]に、本朝皇胤紹運録に基づく天皇代数「神武百二十代兼仁」の使用例がある。
仁孝天皇 120 121 仁孝天皇
孝明天皇 121 122 孝明天皇 宸翰[6]に、本朝皇胤紹運録に基づく天皇代数「百廿二代統仁」の使用例がある。
明治天皇 122 123 明治天皇
大正天皇 123 124 大正天皇
昭和天皇 124 125 昭和天皇
上皇 125 (126)
今上 126 (127)

刊本

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 小倉慈司『本朝皇胤紹運録』写本の基礎的研究,2011
  2. ^ a b c d e 片山杜秀『尊王攘夷―水戸学四百年の歴史』2021、p.197。
  3. ^ 書陵部所蔵目録・画像公開システム,ギャラリーバックナンバー, 「光格天皇宸翰南無阿弥陀仏」(2023-01-04、最終閲覧)https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Gallery/32a6ca4ba39d417e9ed5096d688b0e18?start=20&rows=20
  4. ^ 「飯豊天皇」と表記するも、「本朝皇胤紹運録」においても歴代天皇外。
  5. ^ 宸翰栄華』「宸筆阿弥陀経」
  6. ^ 宸翰栄華』「宸筆御懐紙」

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]