堀岡駅
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堀岡駅 | |
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1940年(昭和15年)当時の堀岡駅 | |
ほりおか Horioka | |
◄射北中学校前 (1.0 km) (0.7 km) 新港東口► | |
所在地 | 富山県新湊市(現・射水市)堀岡 |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
所属路線 | 射水線 |
キロ程 | 13.7 km(新富山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)7月2日 |
廃止年月日 | 1980年(昭和55年)4月1日 |
備考 | 射水線廃線に伴い廃駅 |
堀岡駅(ほりおかえき)は、富山県新湊市(現・射水市)堀岡にあった3つの富山地方鉄道射水線の駅(廃駅)の1つである。射水線の廃線に伴い1980年(昭和55年)4月1日に廃駅となった。
歴史
[編集]- 1929年(昭和4年)7月2日:越中鉄道打出浜駅(後の打出駅(2代目)) - 当駅間開通に伴い開業[1][2][3]。
- 1930年(昭和5年)12月23日:当駅から東新湊駅まで開通。
- 1943年(昭和18年)1月1日:交通統合により富山地方鉄道射水線の駅となる[1][2]。
- 1966年(昭和41年)
- 時期不詳:業務委託化[4]。
- 1980年(昭和55年)4月1日:射水線の廃線に伴い廃止となる[1][2]。
駅構造
[編集]廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(新港東口方面に向かって右手側)に存在した[4]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[4]。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去された[4]。
朝のみ有人、その他の時間帯は無人駅となる業務委託駅となっていた[4]。駅舎は構内の北西側に位置しホームとは通路で連絡した[4]。ホームに待合所代わりの上屋を有した[4]。
駅周辺
[編集]- 堀岡郵便局
- 新湊市立堀岡小学校(現・射水市立堀岡小学校)
- 富山地方鉄道・射水市コミュニティバス「新港東口」停留所
- 富山県道232号堀岡小杉線
- 日本通運
駅跡
[編集]線路跡は四方駅跡南方附近から終点・新港東口駅附近までサイクリングロードとなっている[5]。1997年(平成9年)時点では、線路跡はそのサイクリングロードであった[5]。2006年(平成18年)時点[6]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[7][8]。
駅跡地は2006年(平成18年)時点では駅舎跡が消防団の詰所となっていた[6]。2010年(平成22年)時点では旧駅前部分が公園となっていた[7]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年10月発行)34ページより。
- ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)211-212ページより。
- ^ 鉄道の歌が作られた。「ついたついた電車道 開通式は我が村で 今日しも挙げられるうれしさよ 祝えや祝え もろともに」。運賃は富山連帯橋停車場から本江まで30銭、海老江まで36銭、堀岡まで42銭だった。堀岡から新湊町へは5分おきに5銭の「円太郎」(乗合馬車)が往復することになった。その間の放生津潟には遊覧式のランチ(小型の蒸気船)で連絡されることになった(以上、『堀岡郷土史』)。
- ^ a b c d e f g 書籍『RM LIBRARY 107 富山地鉄笹津・射水線』(著:服部重敬、ネコ・パブリッシング、2008年7月発行)41ページより。
- ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング、1997年5月発行)108-109ページより。
- ^ a b 書籍『富山廃線紀行』(著:草卓人、桂書房、2008年7月発行)66-67ページより。
- ^ a b 書籍『新 消えた轍 7 北陸』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年12月発行)53ページより。
- ^ 『新 鉄道廃線跡を歩く3』50-51ページより。