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塚本倉人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
塚本倉人
つかもと くらと
生年月日 1912年2月10日
出生地 日本の旗 日本 福岡県
没年月日 (2001-05-11) 2001年5月11日(89歳没)
出身校 甘木町立実業専修学校卒業
(現・福岡県立朝倉高等学校
前職 実業家
所属政党 無所属
称号 勲三等瑞宝章
子女 塚本勝人

当選回数 5回
在任期間 1964年11月 - 1972年11月
1976年 - 1988年

第6代 甘木市議会議長
在任期間 1963年5月7日 - 1964年10月8日

甘木市議会議員
在任期間 1955年 - ?
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塚本 倉人(つかもと くらと、1912年明治45年〉2月10日[1] - 2001年平成13年〉5月11日[1])は、日本実業家政治家。元福岡県甘木市(現・朝倉市)長(5期)。

来歴

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福岡県出身[2]1930年昭和5年)、甘木町立実業専修学校(現・福岡県立朝倉高等学校)卒[2]。精米業を営み、後に合名会社化し、塚本食糧工業所を興す[3]1955年(昭和30年)に甘木市議会議員に初当選した[4]1963年(昭和38年)5月7日から1964年(昭和39年)10月8日まで、第6代市議会議長を務めた[5]。同年、甘木市長に当選する。同年11月から1972年(昭和47年)11月まで2期務めた[6]

1976年甘木市長選挙

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1976年(昭和51年)の甘木市長選挙に立候補して、保守系無所属の新人を破って返り咲きを果たした[7]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
塚本倉人64無所属14,445票55.4%-
田口喜八郎54無所属11,620票44.6%-

1980年(昭和55年)、無投票で通算4選を果たした[8]

1984年甘木市長選挙

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共産党の新人との争いになったが、大差で破って通算5選を果たした[9]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
塚本倉人72無所属16,149票84.8%-
田篭勇58日本共産党2,899票15.2%-

1988年(昭和63年)に引退[2]。2001年死去。

栄典

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親族

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著書

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脚注

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  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、804頁。
  2. ^ a b c 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』341頁。
  3. ^ 社歴・五十年の歩み|合名会社 塚本食糧工業所”. www.tsukamotosyokuryou.com. 2024年11月9日閲覧。
  4. ^ ダム技術 (169) 43コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 甘木市史 下巻 187コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 甘木市史 下巻 186コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 国民自治年鑑 1977年版 36コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 甘木市史 下巻 445コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 国民自治年鑑 1985年版 52コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。