塚本毅 (外交官)
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塚本 毅(つかもと たけし、1896年 - 1973年)は昭和期の日本の外交官。
経歴
[編集]熊本県に生まれる[1]。熊本県立玉名中学校(1916年卒業)を経て[2]、1921年に東京高等商業学校(現一橋大学)本科を卒業した[3]。外交官試験に合格し、1920年に外務省に入省した。若手の頃から白鳥敏夫らとともに革新派官僚と呼ばれる。
外務省アメリカ局第二課長[4]、スイス公使館書記官、外務省南洋局長心得、拓務省拓南局参与[5]、ハルビン総領事や[6]、スイス公使、外務省通商局勅任事務官、サイゴン公使、仏印総督府総務長官などを経て、1945年から翌年にかけて最後の仏印大使を務めた。
戦後、公職追放を受けた。のち、国際港湾会議準備会事務総長[7]、輸入自動車協会専務理事[8]、日本イスラエル協会理事長[9]。
著書
[編集]- 『少数民族の問題』国際聯盟協会 1924年
訳書
[編集]- フレッド・エチ・アルドリチ著『國際聯盟の法理學的批判』巌松堂書店 1923年
脚注
[編集]- ^ 職名別日本人名選 昭和12年版
- ^ 現代人物史伝 第9集 (本田弘敏) 図書 河野幸之助 著 日本時報社出版局, 1960
- ^ 東京商科大学卒業生名簿 昭和16年5月末日現在
- ^ 大衆人事録 [全国篇 12版]
- ^ 日本外交年鑑 昭和18年版
- ^ 塚本毅つかもとたけし国立公文書館アジア歴史資料センター
- ^ 港湾 30(4)([305]) 雑誌 日本港湾協会 [編] (日本港湾協会, 1953-04)
- ^ 世界週報 36(33)(1715);1955・11・21 雑誌 (時事通信社, 1955-11)
- ^ 外交時報 = Revue diplomatique (1039) 雑誌
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