多治比若日売

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多治比 若日売(たじひ の わかひめ、生年不明 - 天応2年6月17日782年7月31日))は、奈良時代女官真人位階従四位下。名は若日若日女とも表記される。

生涯[編集]

聖武朝末年の天平21年(749年)4月、陸奥国産金の報告のための東大寺への行幸の日に、藤原百能藤原家子らとともに無位から従五位下に叙される[1]。それからしばらく昇進の記録が見られないが、天平神護2年12月(767年1月)の称徳天皇西大寺行幸の折に昇叙され、正五位下になる[2]光仁朝宝亀7年(776年)正月の従四位下が最高位となる[3]。その後、後宮を退き、天応2年(782年)6月、散事で卒去[4]

官歴[編集]

続日本紀』による

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平21年4月1日条
  2. ^ 『続日本紀』天平神護2年12月12日条
  3. ^ 『続日本紀』宝亀7年正月26日条
  4. ^ 『続日本紀』天応2年6月17日条

参考文献[編集]