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大場隆広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大場 隆広
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県田川郡香春町
生年月日 (1948-06-23) 1948年6月23日
没年月日 (2016-07-16) 2016年7月16日(68歳没)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1966年 第1次ドラフト1位
初出場 1967年
最終出場 1974年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 南海ホークス (1977 - 1979, 1981 - 1985)

大場 隆広(おおば たかひろ、1948年6月23日 - 2016年7月16日[1])は、福岡県田川郡香春町[2]出身のプロ野球選手投手)・コーチ。息子は元巨人大場豊千

来歴・人物

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別府鶴見丘高校では3年次の1966年、エースとして夏の甲子園予選中九州大会準決勝に進出したが、熊本一工田尻茂敏と投げ合い敗退。甲子園出場はならなかったが、予選では1試合平均11の三振を奪う。荒削りながら速球に魅力があり、ドロップを武器とした。1966年第1次ドラフト会議中日ドラゴンズから1位指名を受け、1967年に入団[2]。1年目にはジュニアオールスターに選出されるなど貴重な本格派左腕として期待されたが、一軍では結果を出せず、1970年オフに自由契約となり、近鉄バファローズへ移籍[2]1975年オフに再度自由契約となり、南海ホークスへ移籍[2]二軍トレーニングコーチ兼任となった1977年限りで現役を引退[2]。現役時代には1軍で勝利を挙げられなかった。故にドラフト1位でプロ入りした投手が11年間未勝利という記録が残り、笠原栄一ロッテ)に抜かれるまでプロ野球記録であった。

引退後は南海で二軍トレーニングコーチ(1978年 - 1979年, 1982年 - 1985年)、二軍ランニングコーチ(1981年)を務めた後[1]、退団して大阪市西区川口でお好み焼き店を経営し、元木大介ハワイに野球留学していた時にはコーチとして帯同している。

2016年7月16日、急性骨髄性白血病により死去[1]。68歳没。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1967 中日 4 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 17 3.1 2 0 6 0 0 1 1 1 2 1 3.00 2.40
1969 2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 8 0.2 4 0 2 0 0 0 0 0 1 1 13.50 9.00
1972 近鉄 8 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 37 7.2 12 0 5 0 1 3 1 0 7 6 6.75 2.22
1973 12 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 47 8.2 15 0 9 0 0 2 2 0 13 10 10.00 2.77
1974 11 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 68 15.1 13 1 10 0 0 7 1 1 6 6 3.60 1.50
通算:5年 37 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 177 35.2 46 1 32 0 1 13 5 2 29 24 6.00 2.19

背番号

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  • 34(1967年 - 1970年)
  • 69(1971年)
  • 40(1972年 - 1975年)
  • 59(1976年 - 1977年)
  • 71(1978年)
  • 88(1979年)
  • 87(1981年 - 1985年)

脚注

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  1. ^ a b c 大場隆広さん死去 中日、近鉄、南海でプレー”. 日刊スポーツ (2016年7月17日). 2024年11月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、110ページ

関連項目

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外部リンク

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