大塚公園 (文京区)
大塚公園 Otsuka Park | |
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ラジオ体操の発祥の地の看板 | |
所在地 | |
座標 | 北緯35度43分26秒 東経139度43分57秒 / 北緯35.72389度 東経139.73250度座標: 北緯35度43分26秒 東経139度43分57秒 / 北緯35.72389度 東経139.73250度 |
面積 | 15,377 m2 |
開園 | 1928年3月31日 |
設計者 | 井下清(東京市公園掛) |
運営者 | 東京都文京区 |
設備・遊具 | 広場、花壇、砂場、図書室、集会所、子育地蔵尊、神社 |
駐車場 | なし |
バリアフリー | 公衆トイレ |
アクセス | 東京メトロ丸ノ内線 新大塚駅より徒歩3分 |
事務所 | 文京区役所みどり公園課 |
事務所所在地 | 〒112-8555東京都文京区春日1-16-21 |
大塚公園(おおつかこうえん)は、東京都文京区大塚にある文京区立の公園である。土地の一部は豊島区にまたがっている。
概要
[編集]ラジオ体操、桜の名所、自由広場など、子供・家族・老人などの多くの人々が利用する庶民的な公園。なお、この公園がラジオ体操の発祥の地といわれている(千代田区佐久間公園もラジオ体操発祥の地とされている)。現在も多数の人が毎朝ラジオ体操をしている。その活動の始まりは、ラジオ体操が始まった翌年1929年の1月15日である[1]。
園内に大塚子育地蔵尊の石仏が数体ある。年代が判明しているものは、300年以前の1665年、1674年、1678年であり、往時の里人が豊作と子孫安楽を祈願し奉造したものである。大塚辻町(現大塚5丁目9番)の路傍に置かれていたものを、1945年、第二次世界大戦の戦火で被災し、その後大塚公園に移された。
文京区立大塚公園みどりの図書室と集会所、住好稲荷社,非常災害用井戸もある。
歴史
[編集]江戸時代嘉永年間、このあたり一帯は、松平長門守の下屋敷が設けられていた。1896年(明治29年)、東京市立養育院(現・東京都健康長寿医療センター)が、この地に移転した。1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起こった。罹災傷病者救護のため、内務省の委託により、東京市は東京市立養育院を大塚簡易療養所として使用し、東京市立養育院は板橋町(現・板橋区栄町)に移転した。3年後の1926年(大正15年)、東京市は、この地に、市立病院(現・東京都立大塚病院)、婦人授産場、隣保館、託児並び児童健康相談所を設立した。その時、「公債償還基金経済所属地」として取得した土地(4,028坪)が、利用しにくい崖地と窪地であった。この土地を 1年間の欧米視察旅行から帰国したばかりの井下清・東京市公園課長が、市街地の画期的な公園とすべく、欧米風の設計施工を行ない、大塚公園を造園した[2]。
大塚公園は、1928年3月31日に開園。教材園もあり、当時は時代の先端をいく画期的な公園だった[2]。60年後の1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)に大規模な改修が行われた。この改修で、「みどりの図書室」が設置されたが、ベランダのライオン噴水口がふさがれるなど、初期の公園設計の意図のいくつかは失われた[3]。
要目
[編集]- 面積 - 15,377m2
- 開園時間 - 常時
- 利用料金 - 無料
主な施設
[編集]隣接施設
[編集]交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 文京区民ラジオ体操祭 | こらびっと文京 -文京区 地域公益活動情報サイト-[1]
- ^ a b 井下清 「新しい都市公園 大塚公園の設計施工」『庭園と風景』10巻4号、1928年
- ^ Clocks & Clouds: 大塚公園[2]