大山寺 (鴨川市)
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高蔵山大山寺 | |
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所在地 | 千葉県鴨川市平塚1718 |
位置 | 北緯35度08分14.4秒 東経139度58分00.2秒 / 北緯35.137333度 東経139.966722度座標: 北緯35度08分14.4秒 東経139度58分00.2秒 / 北緯35.137333度 東経139.966722度 |
山号 | 高蔵山(たかくらさん) |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 木造不動明王(千葉県指定有形文化財) |
開山 | 伝・神亀元年(724年) |
開基 | 伝・良弁 |
正式名 | 高蔵山大山寺 |
別称 | 大山不動、大山不動尊 |
札所等 |
関東三大不動 安房国札三十四観音霊場第34番 安房八十八箇所60番 |
文化財 |
大山寺不動堂 附厨子 向拝の竜(千葉県指定有形文化財) 木造不動明王像坐像及び両脇侍立像(千葉県指定有形文化財) 石造宝篋印塔(鴨川市指定有形文化財) 鐘楼(鴨川市指定有形文化財) |
法人番号 | 3040005015994 |
大山寺(おおやまじ)は、千葉県鴨川市にある真言宗智山派の寺院である。大山不動、大山不動尊の通称で親しまれている。山号は高蔵山(たかくらさん)。本尊は不動明王。 成田山新勝寺、雨降山大山寺と共にしばしば「関東の三大不動」に数えられる。[1]
歴史
[編集]- 高蔵山は、鴨川市域の西端に位置する標高219メートルの山で、長狭平野の奥の、最も高い場所に位置する。嶺岡山系にも近く、古くから山岳信仰の地であった。
- 奈良時代に良弁が開基したと伝わる大山寺は、鎌倉時代には源頼朝、室町時代には足利尊氏、戦国時代には里見氏の信仰を集めたとされる。源頼朝は治承4年(1180年)9月に、大山寺に詣でて戦勝を祈り、鎧1両・太刀1振を奉納したと伝承されている。
- 現存する史料の安田文書建武5年(1338年)には、足利尊氏による水田寄進に関する記述が見られる。この史料からは、遅くとも鎌倉時代後期には寺が存在していたことが裏付けられる。なお本尊の不動明王の制作年代は、鎌倉中期である。
- 創建当初は天台宗に属し、修験道の寺として栄えた。伽藍の規模は東国随一といわれたが、室町時代末期、永禄・天正の戦いで破壊。天正14年(1586年)に再興。現在の不動堂は、216年後の享和2年(1802年)に上棟された。
- 江戸期には江戸近郊の観光地として賑わい、参道には宿が十数軒以上も並んだ。
- 明治5年(1872年)に真言宗となる。
- 不動堂を2頭の狛犬が守るほか、山頂の高蔵神社の祭礼では、神輿が不動堂の外陣まで立ち入るなど、現在もなお神仏習合の名残が随所に認められる。
文化財
[編集]大山寺不動堂 附厨子 および向拝の竜(千葉県指定有形文化財) 享和2年(1802年)に建てられた不動堂は、昭和36年(1961年)に茅葺きから銅板葺きに改修された。 不動堂、正面の向拝の竜(彫物師 武志伊八郎信由「波の伊八」作)と、本尊を安置する厨子と一体で県の有形文化財に指定されている。木造不動明王像坐像は通常非公開だが、毎年2月3日の節分会で開帳され一般公開される。[2]
木造不動明王像坐像及び両脇侍立像(千葉県指定有形文化財)
非公開(毎年2月3日の節分会で開帳、一般公開される)
鎌倉中期の作。一木造 ケヤキ材・彫眼・現状素地
不動明王 87.4 cm
矜羯羅童子 80.9 cm
制多迦童子 81.0 cm
石造宝篋印塔(鴨川市指定有形文化財) 文和2年(1353年)造立
鐘楼(鴨川市指定有形文化財) 不動堂よりも古い年代の建造
所在地
[編集]千葉県鴨川市平塚1718
交通アクセス
[編集]交通:JR内房線 安房鴨川駅から路線バスで25分 「大山橋」下車徒歩20分
JR外房線 保田駅「保田中央」バス停から路線バスで25分 「金束駅」下車徒歩20分
東京湾フェリー 金谷港から路線バスで30分 「金束駅」下車徒歩20分
隣の札所
[編集]- 安房国札三十四観音霊場
- 33 観音院 -- 34 大山寺(滝本堂) -- 1 那古寺
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “大山寺 | 【カモ旅プラス】いつでも鴨川!また行こう鴨川!グルメ・レストラン・お店・宿・体験・レジャー情報満載” (2023年9月30日). 2023年11月22日閲覧。 “大山不動尊の名で知られている大山寺は、関東三大不動と呼ばれ、長狭地域の人々から篤く信仰されています。”
- ^ “鴨川を一望する古刹「大山寺」 - 鴨川市公式ホームページ”. www.city.kamogawa.lg.jp. 2023年11月22日閲覧。