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大岡清重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大岡 清重(おおおか きよしげ、寛永8年(1631年) - 元禄3年8月2日1690年9月4日))は、江戸時代前期の旗本大岡清政の次男で、大岡清勝の孫。叔父は大岡清春勘定奉行を務めた。官位は従五位下、備前守通称は傳三郎、五郎左衛門。妻は水野近之の娘。子に娘(永井元頼妻)、娘(三枝守仍妻)、娘(小出英勝妻)、娘(星合顕行妻)、娘(服部信解妻)、養子に大岡清純(清政の五男)がいる。

越後国大岡庄豪族の新田氏里見氏庶家大井田氏族で、大岡忠相の一族である大岡氏とは関わりがない。

経歴

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明暦2年(1656年12月21日、父の遺跡を継ぐ。寛文2年(1662年10月15日徒頭、寛文11年(1671年3月26日目付延宝8年(1680年3月25日勘定奉行となる。天和2年(1682年4月21日に700石を加増され、合計3700石を知行する。

幕命により、天和3年(1683年)、稲葉正休彦坂重紹らとともに畿内治水の再点検を行なう。

貞享4年(1687年9月10日、勤務状況に良からぬところがあるとして勘定奉行を罷免され、逼塞に処せられる。元禄2年(1689年6月4日に赦免されたが、これより前に加増された700石の知行を没収されて小普請となっており、拝謁は止められていた。元禄3年(1690年)4月17日にそれも許されたが、同年8月2日に60歳で死去した。実弟の清純が養子となって跡を継いだ。

参考文献

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