大村町 (長崎県)
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おおむらちょう 大村町 | |
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廃止日 | 1942年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併・市制施行 大村町、福重村、萱瀬村、松原村、鈴田村、三浦村 → 大村市 |
現在の自治体 | 大村市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 東彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
22,142人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 | 諫早市、東彼杵郡福重村、萱瀬村、鈴田村 |
大村町役場 | |
所在地 | 長崎県東彼杵郡大村町 |
座標 | 北緯32度54分02秒 東経129度57分27秒 / 北緯32.90056度 東経129.95747度座標: 北緯32度54分02秒 東経129度57分27秒 / 北緯32.90056度 東経129.95747度 |
ウィキプロジェクト |
大村町(おおむらちょう)は、長崎県東彼杵郡の南部にあった町。1889年(明治22年)に地方自治体としての大村町発足後、2度の合併を経て、戦時中の1942年(昭和17年)に近隣自治体と合併を行い市制施行、大村市となった。
現在の大村市大村地区、西大村地区、および竹松地区にあたる。
地理
[編集]- 山:池田山
- 島嶼:臼島、箕島(みしま)[1]、ガロー島[1]、ソーケー島[1]
- 河川:郡川、佐奈川内川(さながわちがわ)、荒川、内田川、大上戸川(だいじょうごがわ)
- 溜池:葛城ノ池、池田溜池、狸ノ尾溜池
- 湾:大村湾
沿革
[編集]江戸期の大村は久原分と池田分、その両方に跨がる大村城下からなる地域であった。地方自治体として発足した当時の大村町域は上記3つの地域のうち「大村城下」の地域にあたり、明治初年に大村城下の各町が統合され、大村町となった。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東彼杵郡大村町が単独町制にて発足。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 大村町・大村が合併し、改めて大村町が発足[2]。
- 1939年(昭和14年)11月3日 - 大村町・西大村・竹松村が合併し、改めて大村町が発足。
- 1942年(昭和17年)2月11日 - 大村町・福重村・萱瀬村・松原村・鈴田村・三浦村が合併し市制施行、大村市が発足し、大村町は自治体として消滅。
地名
[編集]いずれの地域も1889年の町村制施行時に合併を行っていないため、大字は無し。
- 旧大村町(大村城下)
旧来の大村町域は彼杵地方の各自治体に見られる郷の行政区(地名)を設置していない[3]。このため「大村町○○番地」のように町名の次に番地を表記する住所表記となる。下記は大村町内の主な通称地名(小字)である。
- 字水主町(かこまち)
- 字片町
- 字西本町
- 字東本町
- 旧大村
江戸期の大村のうち「久原分」と称した地域。旧大村時代の郷をそのまま引き継いでいる。
- 玖島郷
- 久原郷
- 木場郷(こば)
- 武部郷
- 徳泉川内郷(とくせんがわち)
- 旧西大村
江戸期の大村のうち「池田分」と称した地域。旧西大村時代の郷をそのまま引き継いでいる。
- 池田郷
- 乾馬場郷
- 杭出津郷(くいでづ)
- 諏訪郷
- 並松郷(なみまつ)
- 松山郷
- 箕島郷(みしま)
- 森園郷
- 旧竹松村
旧竹松村時代の郷をそのまま引き継いでいる。
- 今津郷
- 小路口郷(おろぐち)
- 黒丸郷
- 竹松郷
- 原口郷
旧竹松村域には上記5郷のほか、大村市発足後の1950年(昭和25年)に今津郷・黒丸郷・竹松郷・原口郷のそれぞれ一部が分離統合し「富の原郷」が新設された。
交通
[編集]鉄道
[編集]現在、旧町域には上記2駅のほか、1989年(平成元年)3月に開業した諏訪駅が設置されている。
名所・旧跡
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 長崎県東彼杵郡教育会 編『長崎県東彼杵郡誌』長崎県東彼杵郡教育会、1917年、163-189頁 。 - Google ブックス
脚注
[編集]- ^ a b c 箕島・ガロー島・ソーケー島は大村市発足後、長崎空港の建設に伴い埋め立てられる事となる。現在、長崎空港の南西側には箕島時代の海岸線が僅かに残るが、ガロー島・ソーケー島は完全に埋め立てられており原形は残っていない。
※島嶼部の参考写真:USA-M4-27-3-167 1952年4月27日 米軍撮影の空中写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス) - ^ 長崎縣告示第百二十六號『東彼杵郡大村町、村廃置及び財産処分に関する件』 長崎県公報 大正14年3月24日付号外
- ^ 但し、1884年(明治17年)の『郡村誌』では当町を大村のうちに含め、大村郷とする記述が見られる。