大石王
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大石王(おおいしおう、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。官位は正四位下・播磨守。
経歴
[編集]文武天皇3年(699年)7月に弓削皇子が没した際に、路大人とともに葬儀を監護した[1]。また、同年10月には粟田真人とともに山科山陵(天智天皇陵)に派遣されて山陵の修造を行っている(この時の冠位は浄広肆)[2]。大宝元年(701年)大宝律令による位階制が制定されると従五位上に叙せられ、大宝3年(703年)河内守に任ぜられる。
元明朝に入ると、和銅元年(708年)弾正尹、和銅6年(713年)従四位下・摂津大夫に叙任される。その後も長く朝廷に仕え、播磨守を務めたのち、元正朝の養老7年(723年)従四位上、聖武朝の天平11年(739年)には正四位下に至っている。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 文武天皇3年(699年)以前:浄広肆
- 大宝元年(701年)従五位上
- 大宝3年(703年) 7月5日:河内守
- 時期不詳:正五位下
- 和銅元年(708年) 3月13日:弾正尹
- 和銅6年(713年) 4月23日:従四位下。8月26日:摂津大夫
- 時期不詳:播磨守[3]
- 養老7年(723年) 正月10日:従四位上
- 天平11年(739年) 正月13日:正四位下