大石隆夫
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名前 | ||||||
愛称 | 主任、第3の男 | |||||
カタカナ | オオイシ タカオ | |||||
ラテン文字 | OISHI Takao | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1964年5月25日(60歳) | |||||
出身地 | 静岡県 | |||||
身長 | 165cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF、FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1980-1982 | 清水東高校 | |||||
1983-1986 | 国士舘大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1987-1995 | ヤマハ/ジュビロ磐田 | 157 | (13) | |||
通算 | 157 | (13) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
大石 隆夫(おおいし たかお、1964年5月25日 - )は、日本静岡県出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
来歴
[編集]清水東高校では1学年上に反町康治、沢入重雄、望月達也、1学年下に長谷川健太、堀池巧、大榎克己が控える清水東黄金期で多くの全国大会を経験。国士舘大学(同期に柱谷哲二)を経て、ヤマハ発動機/ジュビロ磐田に入団。
ジュビロのJリーグ初ゴールを決めた選手ではあるが、中山雅史やサルヴァトーレ・スキラッチや鈴木政紀の控えだったため、地味な存在感からついたあだ名は「主任」、「第3の男」など。1995年に現役を引退後はジュビロ磐田のユースチームなどで指導している。
息子の大石竜平もサッカー選手で、2024年現在ブラウブリッツ秋田に所属している[1]。
所属クラブ
[編集]- 1980年 - 1982年 清水東高校
- 1983年 - 1986年 国士舘大学
- 1987年 - 1995年 ヤマハ発動機/ジュビロ磐田
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1987-88 | ヤマハ | 16 | JSL1部 | 14 | 1 | ||||||
1988-89 | 16 | 0 | 1 | 0 | |||||||
1989-90 | 17 | 4 | 5 | 1 | |||||||
1990-91 | 14 | 1 | 2 | 0 | |||||||
1991-92 | 20 | 1 | |||||||||
1992 | 旧J1 | 16 | 3 | - | 2 | 0 | 18 | 3 | |||
1993 | 17 | 13 | 1 | 5 | 1 | 1 | 1 | 19 | 3 | ||
1994 | 磐田 | - | J | 30 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 31 | 1 |
1995 | 17 | 1 | - | 0 | 0 | 17 | 1 | ||||
通算 | 日本 | J | 47 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 48 | 2 | |
日本 | JSL1部 | 81 | 7 | ||||||||
日本 | 旧J1 | 29 | 4 | 5 | 1 | 3 | 1 | 37 | 6 | ||
総通算 | 157 | 13 |
脚注
[編集]- ^ 国士舘大 大石 竜平 選手 来季加入内定のお知らせ, ツエーゲン金沢, (2018-9-4) 2019年2月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 大石隆夫 - WorldFootball.net
- 大石隆夫 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 大石隆夫 - J.League Data Siteによる選手データ
- ジュビロ磐田公式ホームページ Dreams & Emotions - ウェイバックマシン(2008年9月22日アーカイブ分)