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大菴須益

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大菴 須益
応永13年 〜 文明 (日本)5年3月23日
1406年1473年4月20日
生地 薩摩国鹿児島県
宗旨 曹洞宗
寺院 福昌寺 (鹿児島市)
大寧寺瑠璃光寺
竹居正猷器之爲璠
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大菴 須益(だいあん しゅえき)は、室町時代大寧寺六世住職、龍文寺四世、瑠璃光寺開山、安楽寺(和歌山)開山、長谷寺 (島根)開山、明窓寺 (島根)開山、豊龍寺 (山口)開山、鳳台寺二世。

生涯

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応永13年(1406年薩摩国に生まれる。福昌寺 (鹿児島市)竹居正猷(ちくご しょうゆう)に師事し出家した。竹居正猷が鷲頭弘忠の招きにより大寧寺に移ると、大菴も移った。竹居正猷が龍文寺を開山し、器之為璠(きし いはん)が住持となるとその元に遣わされ、師事した。宝徳元年(1449年)器之為璠より法衣を与えられ、相承を受けた。寛正4年(1463年)より大寧寺の住持となり、応仁2年(1468年)器之為璠が没すると龍文寺の住持を務める。文明3年(1471年陶弘房供養のため、夫人の発願により仁保瑠璃光寺を開山する。

文明5年(1473年3月23日に没した。


参考文献

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